「この見立て」を評したほうが非難されないってのが、時々鼻につくのです。
たとえばさ
これって「あのGACKTが・・」だから「アニメごときに・・・」を下敷きにしてるので、記事にあたう、としたわけでさ、「見立て」「みやり方」こそが核なわけです。
起こってる事実というより、「その、見方」を味わいのフレーバーのフリにしてる。
「一般的には、すこし、外れるよね」っていうイントロで記事のアオリの威力を増すのでしょうけれど、「その偏見自体は『一般的』でしたっけ?」なる検証にはいかんわけです。
実家で同居は世界では普通に経済的に有り得る話ですし、子供部屋おじさんなりに「世間に最も迷惑をかけにくい過ごし方」を選択してるのに、なんだよこのあしらいは?って憤りは勘案されてないです。アニメはまだ蔑まれて置いておく、みたいなスタンスのGACKTさんの引き出され方も不憫ですし、アニメにも失礼だなって不見識を覚えるのですが、記事を介しては「この際はそこはまあ、触れないでおくとして・・」のスタンスを強いるわけです。
嫌なのね、そーゆーの。
こういった記事を読むときに「そうか、そーゆー見え方は未だあるのか」とは思うのでした。他意はないのです。はい。