いまはそうである、ということ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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今は思うんです。

 

人は言ったら行った先の地平でただ生きるのだと。

 

好きとか嫌いではない次元で、「そこは、ただ、そう」なだけで、そこで過ごすのだと。

 

思ったとおりがいいだとか、思ったとおりじゃないから嫌いだとか、どうってことでもないだとか、どーでもいーってのは、全部「感想」でもあり、重要視してる理由も自分自身の内側の話。

 

行き着いた先を見通して「そこに至った」人って少ないと思うし、仮にそう適ったことは「思い通りだった」ことで幸いとは限らなさ、ってのを、適(かな)っちゃった人は適ったなりに「・・・・こんなんだったんだ・・」でしかないことも多々ありますんでね。

 

成り行き任せってのはどうかとおもうんだけれど、行ったら行った先の良さがあるものだから、そりゃ辛かった、嫌だったことをかいくぐった先の「今」なのだと、諦観(ていかん)も込みで「よし」とする心地も、大事にしていいと思うのです。

 

「そうじゃなかった」が真意の人もいるし、そこをないがしろにもしたくないのですが、それはそれで「そうでありたさ」をかなえてもいます。

 

かなっても、かなってなくても、さほど大きな差ではないのかもしれませんね。