国立の映画学校がないのは本当だし、私立で高名な監督を輩出してる大学があっても、その監督としての生涯はなかなかの障壁まみれになる。
アニメに関してはもっと格下の生き様に陥れられるのが現状。
かえすと、公的な施策によるクリエティビティが発揮されることが日本ではあまりない。放置され、ニッチな位置にある人らの「なにくそ!」が佳作、秀作を生み出してる素地が実際ある。
そしてでは中国や韓国の公機関の映像組織から図抜けた輩出があったかといえば大いに疑問で、そうした曰く言い難さがつきまとうのが、芸術の難儀なところです。
日本にはこうした統括機関がない。是枝監督は「内閣府の知的財産戦略推進事務局の下に、映画文化・産業の施策を一本化して統括する部署を設立してほしい。そこに今、文化庁・経産省・外務省などで行われている映画振興策のコントロールタワーとして統括機能を持たせていただきたい」と提言した。
そして、「その統括機関の元に、半官半民の合議体を作り、そこには、産業界・文化界から有識者が参加し、映画の未来について文化面・産業面の両サイドから方針を定めていく」と、日本版CNCの設立を訴えた。
是枝監督は令和4年、他の監督有志らとともに、日本映画界の労働環境の改善などを求めて「日本版CNC設立を求める会」(通称「action4cinema」)という団体を立ち上げ、活動を続けている。
かつて「メセナ」活動について、🐼は社会に飛び出した極初期に、芸術と社会資本の連携が適うワードして1年くらい踏ん張ったことがあります。まだBUNKAMURAとか出来立ての頃だったし、小劇場の余波が残る世相でもあったので、幾分か今より断然状況の良いときでした。
けれど日本では「文化に金を落とさない」てのと、かつて隆盛を誇れた文化が「旦那衆のようなパトロン文化が成就してた事例くらいしかなく、継続した組織だった理解を得た経緯が日本では希薄なのです。
されど、じゃあ公的に「いい映画」なんてのを税金投入でなされるときに、今のNHKみたいな叩かれ方を延々請け負うばかりになる感じも予見され、それもどーかなーとはおもうのです。
なんせ「マルチメディア」とか叫んで失敗するお国柄で、文化の醸成がひどく公機関が下手なのが少なくとも🐼の生涯のうちの印象です。うまく行った例がいまんところない。