(これは数十年前のエッセイです)
ゴールデンウィークの始まる前から止まらなくなってた咳のせいかもしれないんだけど、肺の上、斜下あたりが痛くなってきやがりましたので、殊勝にも病院にいってまいりました。
半年前にも風邪で行ってまして「二ヶ月後にまた来て下さい」と先生にいわれ、ハーイなどと快活に返事申し上げて、行かなかった後ろめたさもありましたが、さすがに人前でゲホガホとうるさくしてるのもどーよ?と反省し行きました。
人間、弱ると昔のつらかったことや悲しかった事がほんのり思い出される。
返して言うと、つらいことや悲しいことを思い出してくると、私は今、弱ってきてるのかなあ、と思うのだ。
そうなると、心を安静にしようって思えるのでありまして、決して弱さに飲み込まれまいと防御に入ります。
おもえば、
幼少の私は床屋に入っても泣く子だった。その器具の感じがどことなく病院のような気がして、泣き虫の私を、親がだましてきっとつれてきたんだ、と思い込むタチの子だったのです。
私は保育園に行くのも泣いて泣いて嫌がっていました。
他の同級生はケロリとしていますが、私はとにかく泣いて、ぐずって、暴れて、徹底的に嫌がっていました。
でも行ってしまうとそれはそれで普通に楽しいのですが、それでも毎朝たくさん泣いてた覚えがあります。
私は「注射」が心底嫌いでした。
普通の子は注射が得意!ではなくとも、ちゃんと打たせるじゃないですか。
で、子供によっては凛とした態度できちんと打たせる。
私はこれについてまったく我慢をしない子であったばかりか、泣くわ、走るわ、エビ反るわで、まったく自分に我慢を強要できませんでした。
針打つんだよ??
なんで平気なの??
全力で走って逃げた覚えがあります。
本気で走って逃げてた覚えがあります。
そんな子他にいなかったように思います。
その辺りからもう、他の子は、きっとなんかどっか考え方がおかしいんだ!と思っていたフシがあります。
そう、
わたしはいつも自分の肯定から入ります。
自分一人がオカシくても、けっして自分を責めずに「みんなが一斉に間違っているんだよ」と思う方でした。
いや、過去形でもないな、今でも似たようなもんだし。
給食も残しましたから、掃除の時間、5、6時間目にも残された覚えがあります。根比べです。根比べでもなんでも、食べられないものは食べられない!!!と意志にも似た「嫌!」さをとってしまう子でした。
でもみんなはそうじゃなかったのです。
注射も打たせるし、給食もきちんと食べていました。
そのみんなの「普通さ」を見やっては、なんでみんな大丈夫なの?が常に心にまとわっていたし、できない私を見てるみんなの「目」もなんか、ものすごく嫌だったのを覚えています。
見るな、放っておいてくれ、っていうのはここいら辺の体験からきているのかもしれません。
もうひとつ言えば「途中で止められないようなことははじめない」ってのも体に染み付きました。止めることが上手にできないことを、人々はあまりにも続け過ぎていると、私は思うようになりました。
決して本人の意志の力で動いているのではなく、止めろ!といわれないからやめない人ってのもいるし、みんながやってるからやる、って人もいるし、止める理由がないからやってるってだけの人もいるのに、それでも「やってない」人よりは「やって」る分だけ立派、という論理がまったく受け付けられなかったのです。
自分の意志でないものをこうも考えなしに、続けている。
それも一斉に、みんなが似たり寄ったりに、「そこいらへん」の考え方に疑問なくいられるのが、なんだかとても「分からなかった」です。
でもそれが「普通」ってことなんでしょうね。
かろうじてイギリスの「変な人も、そのままで社会に受け入れる」ような社会を知るようになると、ああ、そうか、そういうところもあるんだな、ってホッとできましたけど、今度はそういう環境下では常に自分のことをアピールし続けるタフさも求められるらしく、そういうスタミナもないよなー、と自堕落なことをボンヤリ思っていました。
そうした「考えなしにでも、なんとなく続ける」ことができる人は、こういうのが疑問でもつらくもないんです。
でもできない人間だったから「それってオカシくない?」て突然叫ぶようなポジションなんです。
叫ばないと、自分のブサイクぶりや、無能さをさげすむような気持ちに負けちゃうからなのかもしれません。負けちゃうと、もうダメです。
まったく人といるのが苦痛になっちゃうのです。比較するのもされるのも受け付けなくなっちゃうのです。そうよね、それはそういうもんよね。
人、は人との間に「距離」が要ります。
近すぎればすぐに喧嘩になります。
遠すぎると、疎遠になります。
今のこの国の事件のいくつかは「近すぎて」起こっている事件がいくつもあります。密度が高いんじゃないかな。
いや、それでもインドよりは少ない密度ではあるでしょうけど。
私は嫌いなものからは本当に全力で走って逃げた子だった。
先生の目も友達の目も関係なく、しゃにむに逃げて走った。
みんなが正しいんじゃない。私は注射を打たれる「危機」から、徹底的に逃げたのだ。本当に心底耐えきれないと逃げたのだ。
大人何人もが体をホールドして注射を打ってきた記憶も生々しい。
わたしがこんなにいやがってるのに
あなたたちはそれをするのか
ダメなものは、ダメなんです。
そういう考え方の上の延長が、わたしの考え方の基本にあります。
どこか迎合しきれない「本当の方の気持ち」が多少なりとも人より多く表現するのは、それがわたしという幼少の憧憬を一生懸命肯定しようってしてるのかもしれない。
そういう自分への弱さの肯定と一緒に、今度はその裏返しに「みんなは一斉に間違ってる」てのもひとつの真理のような気もしてます。
仕方ないよね、って考え方を根本的に許せないのはそうした自分へのやましさから生まれたものかもしれません。
ゆとりないよな。分ってる。いらないよ、そんなゆとりなら。
ダメなものはダメ!が凛とした思考の上の産物であれば、いっそ胸を張って社会党みたいに言うところなんだけど、そういんじゃなくって自分の弱さから垣間見える「本当さ」を壊さない具合に「触るな!」っていいながらも見せるために、出してるから、どうしても弱腰な発言になる。
でもその弱さの主張も許されない程度の社会ってのは貧相に過ぎる。
「見よ!この弱さ!このブサイクさを!」
それでいて、そうか、そういうのもあるのか、ってしてくれたなら、わたしはもっとおおらかな人間になれたと予感するのだ。
追い詰められた分だけ、人は防衛する気持ちを強くする。
世の中の「ひきこもり」も「フリーター」も逃げ、なんかじゃなく、私には「防衛」であるように見える。それを「問題」って表現できてしまう人間達の神経の太さと不寛容さを憂う。
自分がなんなく受け入れられたってだけでうまく過ごせてる人間を「正常」というのは、なんというか、無神経すぎる。そこにはなんの考えも、努力もなく、「それはそういうものだ」というただ受け入れることにだけ長けた無神経が前提。
日本って国はそこいらへん、いつも気づかってこなかったから、フリータ問題とかひきこもり問題ってまるで邪険なポジションの人間を見下すようなところから入ってきてる。
問題、とか言うなってのよ。問題とか言うカテゴリにさせる、その神経のズ太さを、なんの問題にもしないってことはどうなのよ?
弱い人間はその弱さを「弱い」って感じさせてくる社会そのものへもっと怒りをぶつけていいと思う。いや、犯罪のようなスタイルではなく、凛と「この弱さを放っておけ!」と威張っていいような気がする。
それを触ってくる野蛮で無神経な連中がたくさんいるんだけど、そーゆーのって、自覚のあるものだから、自分の劣悪さに火をつけてやればいいんだ。ザマーミロってね。
わたしは弱いけれど、それを出してみます。使ってみます。
それにつけこんでくる連中は、その下衆さもよく見えるでしょうからそうするならそうなさい。そしてその感情を強くなさい。
感情は使ったものだけを大きく振幅させます。
だから、自分が大きくしたい感情を上手に使う事で、自分の向かわせたい感情を大きくさせます。
半年ぶりに病院へ行き、レントゲンとCTやりました。
注射を打たれたらどうしよう!!ってトラウマがきっとこのエッセイを生んだのだと思います。今でも逃げだせるのなら逃げそうだもんな、私。
ダメなものはダメ。
弱虫の言葉だけど、これを許せ、コノヤロウ!