台風はすごいのに | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数十年前のエッセイです)

 

台風ってデカくて力強くてとめられなくて、いろいろはらんでてすっげー気紛れに動いてて、そのくせ通ったあとに変化のないものなんて許さないのに、生き物じゃないんですよね

生き物って、ほら、なんかどっかで「脳」があるような気がしない?
なんか考えて、動いてて、のびてて、成長や衰退をくり返す。
ほら、でも台風って、脳、ないのよ。

脳がないだけじゃなくて、生き物ですらない。
なのに衛星写真などからでないと動きも全体像もわかりゃしない。
そのうえ動く!動くくせに、「自力で動けない」ときてる。
周りの気圧や風の影響をうけて、押されるように、まわりのなすがままに動いてる。それが台風。

脳がない、っていうなら植物もそう。
ぐんぐん水吸って、のびてゆく。太陽光線を受けて、体内で栄養まで作り、活きて、子孫まで残すのに、脳なんてない。脳なんて、ないのだ。

果実や葉を実らし、生やしているというのに、ただそれは「生きてる」だけだ。

生きる、ってことに「脳」は必須じゃないんだな。
動く、ってことに脳は必須じゃないんだな。
脳はたしかにいろんなことをするんだけれど、それは生きるってことや動くってことの直接の理由にはならないもんなんだなーって思うんです。

海流、とか風って地球上をぐわんぐわん動いているのに、スッゲーサイズで世の中を翻弄してるのに、その存在そのものは「現象」でしかない。
なにかの意志なんかじゃなく、動いて、他の生き物を大きく影響下においてるのに、それはなにかを成し遂げるものではないのだ。

漫然と、ただ、そうである、ということ。
そういうろくろく意志もないものの中で人間とか動物とか昆虫ってのは脳を使ってあれこれと忙しく活きているのであります。
自分で進路も規模も決められないような台風なんてものに翻弄されるサイズの生き物なんです、人間。

ほら、そう思うとさ、日々のがんばりとかしでかせることの大きさとかにさ、なんか謙虚になれないかなあ。

最近の世の中って、なんか、どっかで勘違いしてるものでくるまれてる感じがするんですよ。

それも誰かの意志みたいなもので世界はなんとかなる!
みたいな錯覚で、独善な平和がくさくて仕方ないんです。

人力で地球は壊せると思うんですけど、人力で地球は救えないなとは思うんです。「せめて壊さない」ってのが本来のマナーなのに、それに対しての人間の態度はぞんざいなまま。

世界はきっと少しづつ壊れていくんだろうけど、そんな中で叡智に触れてはいたいもんだ、と思ったら、インディアンの本に全部もう答えが書いてあったような気がする。

世界のいろんな宗教教義にもそれに似た解答が存在してるように思う。
世界の問題と、その答えはあるというのに、世界はやっぱり意志のないものに翻弄され、日々「しょうがない」とかいって進んでるんですね。

それがつまんない、って思うんですよ。
脳があるくせに非力なこのわたしが、ってちっぽけながらに決意するおもしろさ、っていいじゃないですか。
役にたたない、が前提でいいじゃないですか。
そんでもって、「なんもなしにはしない」っていうなけなしの決意であんまり見返りを大きく見積もらないで挑んだらいいんですよね。

わたしたちはなんせ立派な決意をしたがりすぎる。
ろくずっぽ大したことしてきたわけでもないのに、やたらに立派な決意に憧れ過ぎてるんですよ、ホント。

台風だってほら、自力でうごけやしないんですよ?
自力で動けないんだよ?あんな日本まるごと暴風雨にできるような天災が、「自力でうごけない」んだよ?おかしいったらありゃしない。

台風のデカさをもってしてもこれだけ考えがないんだ。
自分のミニマムさってものの奥ゆかしさをどこかで笑いながら「そんでもやる!」ってくらいの決意が、人間にはぴったりな気がする。
近ごろの「勝ち組、負け組」みたいな真剣そうな考え方って、どこか窮屈なんですよ。

そんなとき、わたしは台風を思い出すんです