あたらしいいのちを目の前に | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

「好きであること」と「妊娠」と「出産後」を見渡せる年齢でもないうちの育児への助走時期は、人生が大きく転換することになるのが、ヤングにはわからないし、わからざるを得なくなるときに至ってはじめて「そういうことか」と世間が諌めたり、慎重を強いてくる理由を「後付」で知ることになる。

 

その時には、もう「新しい命との・どちらかが亡くなるまでは連綿と続ける関係」は発生し、途切れない。制度的に距離を稼げても、経験という事実の前に、ないことにはならない。

 

かえせば、他の生命を宿し、共に生きれる時間を若いうちに持てた幸いもある。

今の時世では稀な方にカテゴライズされる傾向があるけれど、生命としては幸いなことでもある。

 

こーゆーのは「意味」とかいう次元ではない。

そうである、という厳然とした事実だけがそこにある。

どう解釈や注釈を添えたところで、眼前の命を共に生きだすだけである。

 

生きることと同じく、解釈いかんでそのあり様も意味も随分変わること。

この局面になったのなら、もう否応はない。応じて生き抜くうえでの最良を目指すだけになる。