元気の種 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数十年前のエッセイです)

 

なんにつけまーとにかくやることがやたら多くてちっとばかし腐っていたんですよ。

んで御飯とお風呂と済ませたらバッタンキュッ!ってフテ寝したのね。んでんで朝、録画してた「トップをねらえ2!(4)」をみて
はうううううう!!と俄然ガッツがわいてきました。

実際の自分の疲れ方というものが、いよいよ自分の「決めた疲れ方」なんだな、って思い知りましたね。
今週はピロウズのマキシもベリーグーだったし中田の陶芸展も面白かったし気合いの乗る時と言うのは続くなぁ。ふふふふ。

このごろ人と話してて感じるのは「他人を思い遣る」っていうのがホントはなんなんだろうってことでして、話しても話してもどーしても「他人のことが理解できない」人がいる。接客業を選んでおきながら、人に喜ぶ気持ちを与えることを知らない人たちがいる。

私はガイナックスの作品にはいつも期待をしてて、それはいつも意外で、意外なのに期待ができてて、どうこれを言葉にしたものかと思いあぐねてるわけですけど、わたしが知ってる内で最良のサービスってものをガイナックスはいつも持ってきてくれる。

のぞんでいないものは避ければいいし、その人の中には入っていかない。
他人を許容できない人というのはナニをどう言い繕ったところで「自己愛」に終始している。
それが悪いとは思わないけど、そーゆーのは自分の中に秘めるくらいの奥ゆかしさはぜひほしがってて欲しいものですな。

「作品」に触れて、それ、そこまでに知ってたはずのものを「思い出すように」楽しむと言うのはなんなんだろう。
 

自分の外から放り込まれたものに、自分がまっ先に食い付いて、心をとられる。
自分以外の人が用意してくれたプレゼントに、自分の気持ちが揺らめいて、燃え上がって、天を焦がす火柱をあげて、走ってたり叫んだり大笑いしてる自分になってる。

こんなに楽しいなんて!なんだろう、こういうのってなんだろう。

ピロウズのマキシと一緒に実はDVDも買ってる。ピロウズが真剣に音楽を作ってることが照れながら出ているプロモで楽しかった。彼等もまた、私の知ってる感情のひとつを持ってきてくれて、グイグイ広げてくれるのでうれしくなっちまうんです。

予定調和な幸せや人間関係は「被害」は少ないけれど、得るものも微々。

おかげで振幅のない生活を自分で選んでおきながらあるとき「自分はこんなんじゃない!!」とか言い出す。
いんや。
準備してないものを得たがるんなら、上手に「横入り」するだけの準備がやっぱりいるんです。

ガイナックスもピロウズも実は至極マジメなクリエーターであり、こっちが正気に戻るための作品にいつも仕上げて持ってきてくれる。
 

N田の陶芸もいつも思うんだけど、アイツのペースとか、アイツの考え方とかを押し付けたりしないし、がんばったりしないで、「もう、こうなんで」といってチョコンと置いてる。まっ先にそれが「嘘がないよなあ」って感じるところで信じられる。

信じたいようにしか信じれないのが人ですので、私は自分が一番飲み込みやすい形でいろんなことを「信じたいように」解釈して飲み込みます。
みんなもそうなんだと思います。
 

「自分」が強すぎると、その目の前のものが「自分の解釈」が強すぎて、いびつな形で自分に取り込むことになります。
「自分」を殺して目の前のものを見ても、なんの感慨も得られません。
入った形のものからしか、私達は次へ進む知恵を得られないんですから、いびつに仕入れたら、いびつな知恵になるのは当然でしょう?

素直に、目の前のものが素直に入ってきて、自分の体に馴染むようにふだんから訓練していれば、「自分」以上のサイズのものが、楽しく入り込んできて、それらが自分を今よりうんと高く、うんと楽しいところに運んでくれる。

自分のしてた準備高以上のものを得たがるのが人ですけど、その実、自分の方の準備の仕方こそ肝心なんでしょうね。
してない準備分までほしがったりするのはアホですよね。ふふふ。