新プロジェクトXで、ケータイの写メの開発の話があった。
当時携帯事業に後発のJフォンと、携帯電話のシェアの弱かったシャープが「弱小タッグ」と銘打っての、逆転劇を描く内容だった。
携帯電話にカメラ機能を持たせる話、その当初はそれが切り札になり、シェアの獲得に決定打になる風潮はなく、社内的な冷遇になりかねないようなムードの中、部下を信頼しきり、任せる上司に、事務職から念願の技術職に至った「変わった人」が、しゃにむに機能を盛り込む工夫や創意に邁進する景色の連続でした。
「携帯電話に写真機能をつける」は必須な案件だとは、現代にあっても「必須」と位置付けできる理由が見当たらないことに、番組見ながら🐼は今更驚いた。
全く相容れないと称しても差し支えないほど「別枠」の機能だ。
でもスマホの世代に至っては、カメラ機能のないスマホはほぼなく、なんとなればスマホカメラのみでの映像作品の制作すら完遂できる時代に至っています。
携帯電話に撮影機能を埋め込む際に、カメラユニットの目処まで立ってから、そのユニットから漏れ出る電磁波の干渉が、通話機能や電波の受信の阻害に至らしめる事態が起きた。
先に挙げた技術屋さんが、回路内での配置を転換したりするなどで、ひとつひとつの問題を潰していって、写メ機能付き携帯電話はメガヒットを示した。
開発主任の位置する方が、初めて作るものは、当然問題が起こる、とさらりと言ってのけた。
そりゃそうです。問題があるから、他社は手出しをしなかったし、コンパクトに携帯筐体に仕込ませる形でなく、オプションとして外付けユニット化して大型化を受け入れる安逸に逸った企業は、コンシューマーにうけいれられないかたちで、断念に至ってました。
「やり遂げる」を意固地なほど固執し、やり遂げるからには、に併発する諸問題を、「初めてやってるんだから、問題が山積して当然」視でき、その逐一を潰すのは、当初の目的を完遂する上で至極当然、とした目線を受け止めた人らが、これをなしえた。
もう一度言いますけれど、「携帯電話」は電話機能で十分なんです。カメラ機能は「全くの別口の機能」であるのは、今でも確かな事実です。
今や、「カメラは持ってなくてもスマホで撮れる」が平準化するという、カメラ業界にしてみれば、震撼しそうなほどの機能性の満足水準が、ぶんどられたかのような状況です。
しかもビデオ機能もタイムラプス、スローモーションなど、映像分野の取り込みに成功。
ネットにリンクしたSNS配信への馴染みの良さ、文字打ち込みが可能な媒体、音声、映像の編集機能までの万全を、小型コンピューター並みの采配でスマホが牛耳れている。
マルチタスクに準拠したわがまま仕様は、携帯電話、スマホが「ガジェット」称に合致し、やりおおせる、一番身近で簡便なエントリーマシンに化けました。
多様なファンクションに応じられる、そのごく初歩が、i-modeのようなネットに親和性を期待させたdocomoサイドの意図した方角ではなく、Jフォンの「写メ機能」が飽和的に寄与する流れを生み出す俎上になった事実。
日本は従来からも「マルチメディア」だの「ジャパニメーション」だの、的外れな触込み込み先行のフレーズでケムにまくやり口で、世界的に成功した試しがないのです。
正攻法っぽくみえるその愚直は、結局のところ、何かを取りこぼすアプローチなのでしょう。
この「携帯電話」に「カメラ機能」という、ある意味ミスマッチの同居を「いける!としたひとらの慧眼に学ぶべきです。
それって、狙い澄ましたいやらしい狙い撃ちではなく、どちらかといば「負け越してる最中の、がむしゃらな一撃必殺」というワンフレーズな邁進でした。
この感性。
この「いつまでもどこまでも、うまくいった理屈が得心できなさ」に手が出せるありようが、人を進捗させる唯一の動機のような気がするのです。
正しさ、ではこうはコマを進ませられないはずです。
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024041311428