その他大勢はかっこいい | アメブロなpandaheavenブログ

アメブロなpandaheavenブログ

最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは数十年前のエッセイです)

 

『世界最速のインディアン』という映画を御覧になりましたか?

ギリギリ単館上映になりそうなアンソニー・ホプキンス主演の爺ちゃん映画です。

 

 

ものすンごいオンボロバイクを徹底的に手入れしてバイクで「とにかく速く走りたいだけ」な爺ちゃんがその最高のスピードを計りに行くだけの、簡単な物語。私はこの手の地味なハッスル話が大好きで以前「アザーファイナル」という世界で最下位のワールドカップ決定戦の映画ってのにも心惹かれて東京で見た覚えがあります。

 

 

「ストレイトストーリー」という映画もおじいちゃんがトラクターで時速4キロの旅をして弟に会いに行く話でした。これも大好き。

 

 

 

これらの映画には共通項がありますね。ふつうの人たちが、ふつうの感性で生きてる息遣いが分かるんです。

ハリウッド映画に顕著な「ヒーロー」が「ヒロイン」がキラキラドカーンでウルウルモテモテでゴーカでデカダンでワンダホーでマーベラスな「やっぱり我が家が一番!」映画たちと違ってですね、圧倒的に脇役で地味な人たちが欠かせないひとりとして、主人公を助けるんです。

これって一番かっこいいことだと私は思っています。もンのすごくカッコイー!って思うんです。


冒頭で言う『世界最速のインディアン』という映画ではニュージーランドの片隅からアメリカにやって来た爺ちゃんが右も左もわかんない中、一番最初にお世話になるホテルに入ると受付にごっつい黒人でお姉さんがいる。いや、ホントはお姉さんじゃなくて女装してるおじさんがいる。

 

んまー地味なんだけど、すンごく地味なんだけど、この人が見せた主人公への静かな「優しさ」は、どこか一般の、みんなが自然体で持ってる「優しさ」に見えて、すごく嬉しくなったんです。

この感覚はかつて「プリシラ」というオーストラリア映画でも感じました。女装趣味というマイノリティー(少数派)の人たちを異端の人ではなく、素敵に優しい目線で追う映画だったんです。

 

 

 

私達が日々の生活で発揮できる優しさの大きさってけっこう限られるでしょう?
自分の仕事や自分の生活を圧迫する程の優しさってそうそう毎日はやれないものだし、決意とか決断なんて滅多にできないじゃない?
家庭持ちの人なんてのはいよいよ「周りにかかる負荷」を考えると冒険的な生き方なんてできなくなる。

上述の映画達はそうした「日常生活」のうちでできることたちを、主人公に対してできる大きさで分け与えてくれる人たちで満たされた映画たちなんです。


遠く離れた未来や世界のキラキラしたフィクションではなく、映画館でたらすぐに「そういう人」の一員になれるくらいのさりげない、ミニマムな優しさで出来上がってる。

『世界最速のインディアン』で黒人のお姉さん(便宜上こう呼びますね)は爺ちゃんのアメリカでの生活の出だしを助け、一緒に動き、御飯をおごり、お別れの時は見返りを求めるのではなく「連絡をちょうだいね」という。このかっこよさったら!この素敵さったら!


主人公別れた後、きっとこの黒人のお姉さんはモーテルの受付で「お前、男ダロ?キッヒッヒ」的アメリカ下品さで冷やかされる生活が待ってることを、観客は映画に描かれない内に感じ取るんだけど、きっとこのお姉さんは主人公のおじいさんを知ってることでそういう日々のくだらなさを飛び越して生きていけるように感じるはず。

このごろ私のHP上でSUEMITU&THE SUEMITH(読みはスエミツ・アンド・ザ・スエミス)を誉めておるんですが、この人のなにが好きってこの人の曲はどこか脇役を感じるんです。
 

すっごく派手で元気なアレンジをくり出しててうわーってなる曲達なんですけど、基本的に地味にカテゴライズされるのは「芸能界」とかいうところのルックスではないし、J-POPばりのアンテナ野郎でもなく、「ピアノの実力があるすっげーセンスのいい人」くらいのままで居て欲しい、ニッチな感じがするんです。

 

 

いやいやそのニッチさに惚れた、とかではなくてですね、周りの人がワンワンうるさいことをシノゴノ言うでしょうが、今、彼が気付いて築いた音楽感のさりげなくも美しい目線がものすごく私にマッチしてまして、全世界的な受け入れには至らないでしょうが、彼独自にしか触れ得ない切り込みが、たいそう私は好きなので、このままのさりげない目線の良さで居て欲しいのです。


こっそり実力があっていいじゃないですか。うるさい外野にやれアーダコーダと言われないで今、信じてるセンスの良さをググーンとのばして欲しいんです。キラキランって光るものがそのままピッカピカにして渡して欲しいんです。

それらはある種の地味さに、かっこよさを覚えるのです。
売れてるものが一斉にくだらなく見える瞬間があるんですけど、このごろその頻度があがってる。
「なんか、こう、だまされてる感じ」くらいのマガイモノさ加減すら感じます。

そう言う時、『世界最速のインディアン』やスエミツの音楽のようなあり方がすごく信じられる。
ああ、この線をはずしちゃいけない。流れや空気にだまされちゃうことは私達にはしょっちゅうあることだけれど、がっかりしきったりする前に、ここに戻れば少なくても元気はだせるよってものを知っておくことは、生き続ける上ではものすごく重要でしょう?

その他大勢、に見える人たちの中からサンゼンと光り輝くカリスマ性に富む人がでてくるものだけれど、それは憧れてそうなるものではなく、むしろ本人の意向にあんまり関係のないところから来る利害関係から「祭り上げられるように」そうなってしまうのだから、それこそ実力以外の力に左右されるツマンナイ立場だと思う。


むしろ脇役よ!その他大勢!うん。だってその他大勢、なら今すぐにもなれるよ!!
その他大勢、なのでそんな実力やキラキラセンスも要りませんし、誰かに祭り上げられもしないし、嫌ンなったら辞めれるしね。いいことばかりじゃん。その上主人公になりそうなひとを助けるし、欠かせない存在だし、いいことばっかりじゃん。でしょ?

立派ななにかをしでかすだけがカッコイーじゃない。
地味でも欠かせない、居ても居なくてもいいくらいの地味さでありながら、キーマン。
『世界最速のインディアン』の黒人姉さんのかっこよさは私のひとつの指標ですね。