信じることってのは、多分望むってことと本質が別個なんだと思います。
望んで叶うと嬉しいけれど、多分それって「望み続ける」が強くて、望まれた方が避け出すと思うんです。
信じるってのはもっと悠長でおおらかで、どうでもよさが伴っている状態。駄目でも腐らず、叶わずともひるまず、私欲の枠外に在れば在るほど自在さがますし、周囲の方がそれを放り込むことを望むことっを深めだす。
そこにありやすくなる、と言い換えるといいかしら?
信じるが浸透した考え方には、束縛を伴わせない自在さがあってこそです。結果がよくでも悪くても「信じてた」らどっちに帰着しても「信じ通せる」だけで済むはずです。
こうあってほしい、ではない気がします。
どうでもいい、に似通うくらいそっけないのかもしれません。