”土井先生と佐伯先生の話”に関わる経済ってものの位置 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!



コロナ禍の最中に、それまでの生活のうちに表立ってこなかったある種の「言い回し」「フレーズ」がにわかに、ある種、時多発的な様相をもって出回るものがありました。


それは「こんなときこそ、経済を回すことが肝心だ」ってものでした。


極論の気配もここには伴ってて、目先の「みんな一斉の健康優先」がために、過度の社会経済の停滞につながるような規制は慎むべきである、がそこには透けて見えました(むしろ、積極的に「隠さない」をこそ意識した論調でした)。


ものすごい不穏を🐼はそこに嗅ぎ取った心地を覚えました。

その言外には「目先の健康も大事であろうが、社会経済を回すことをおろそかにするのはいかがなものか?」という、「経済重視」の意図からスピンとテンションがかかるのを覚えたのです。


その上で、以下の記事の中で「佐伯先生」が戦中戦後を駆け抜ける最中で、すべからく、すべての国民へ「栄養」の観点から人々の救済にかかり、本当に苦境の中から生き抜かせるために栄養配分の駆使に奔走された話を知った時「やっぱりな」と思ったんです。

経済を回すのが先だ、が国難に足を突っ込んでる時に必ず出てくるんだ、と。


その経済の活況を得んがために、目先の犠牲の多少はやむを得んのだ、のニュアンス満載の発言が、目立ち出すとこに押し出されてくることがあります。


経済の恩恵が間に合わないところから、人はじわじわ弱い部分から死に始めていくのだから、まずもって経済を回そう、を叫び出します。


戦後の日本の復興は、経済を回しはじめたからだ、と言の葉に乗せる論調はキラーフレーズめいてるし、論証する際には「その当時」を生き抜いた上で実体験からそれを言い出せる人はもはや少数です。

ゆえに、とても反対しにくくもあります。


でも実相は多分「個々人が生き延びた」が先であって、経済が回り出した、はうんと後のことです。

国が、経済が、なんとかしてくれた、なるものは幻想に近く、ピンチの渦中の戦中戦後の全国民には、「個々人が生き延びた」だけの、支援なきサバイバルでした。


個々人を生かした、その一端に佐伯先生のような「誰彼を身分と経済状況に関わらず救いにかかる」栄養の観点から、底上げを図る、観念があって実働したのでしょう。


給食しか食べられない、欠食児童を「食べられる」に位置させ直し、量の確保が難しい中でも「栄養」の観点から生きながらえる配分をその時代背景のうちに「まかなわせた」に引っ張り上げる工夫をされた。


ここに、「生き延びれた」「生きながらえられた」を叶えた人こそが、後に経済発展の礎になれていくのです。経済ありき、なんかじゃなかった。


まず、「貧乏」や「食えない」さなかを、突っ切らせた「まず・生きた」を適えさす社会、が見えてこそ、人々は希望を抱くに至るわけです。


経済、なんてのは水物ですし、願って向上するは幻想です。目の前の「食える」と「生きるに足る栄養」というまんべんのなさを、人々は先に「安泰」の足元に見られて、生き始めるんです。


コロナ禍とコロナ後に、経済経済とはやす感じみたいに言の葉に乗っかるのを、🐼は空寒い気持ちに眺めました。口にし出せた人らが、生活にあまり困りにくい人らばかりでしたし、それは空念仏みたいに空虚でうつろってました。


「声には出されてるけれど、耳から先に届いてこなさ」のすごさがものすごかったです。

全然響かないかったんです。


むしろ「今は経済の話じゃねえだろう!」という憤りが凄まじく渦巻きました。本当に生死のかかる最中を「多少の目先の死者数が増えても・・」を言いはばかりもしなくなったとき、あー、基本線を忘れたか、捨てたかと反吐の出る思いでした。


ゆえに、引用元の記事を書けたときに、橋頭堡を得た心地を覚えたのでした。


政治も経済も水物です。

それでできることもあるには有るけれど、「なんとかしてる」その主人公たちたる実働は、「名もなき我ら」です。

雰囲気の醸成、で食い扶持を生む人らより、目先の一食を食い繋ぐを適えたお父さんなりお母さんなりが、本物なのです。それ以外は「まがいもん扱い」で相当です。


まんべんなく、救われるんだ、生きていけそうだ、が「人々に宿り出す」までを助走させる時に経済なるものは「安堵」を得て、平準的な成長へと向かうはずです。


それがどうですか?今の経済虎の頭でっかちさと偏狭さ。

徴収、負担枠は増やす、精緻に召し上げる仕組みの浸透に逸る、未来に渡って懐に残させまいとがっつく、学業を断念せざるをえない、共働きで年金はどんどん開始時期を恣意的に繰り上げられ続ける、自分たちの声はとどかない・・・・


あのね、あたまがでかいですわ。

全然理に適ってない。

ここでは子供は生まれていかないし、明るい未来も描けないわ。国民負担も5割を超える徴収源の割に、有事のサービスは「認可せず」を役所が「成果」にしてる有様。


ここに希望を持とう!経済を回そう!はあまりに思慮に欠くキャッチコピーであり、シュプレヒコールですが、現総理はひたすら口先でこれをがなさりますね。


できるか、あほ。