人生の有事には、行き詰まったり激しく混濁したりと、「いろんな目にあった人」のほうが力強いアドバイスに至る気がしませんか?
通り一辺倒に「上手くいってる」ひとの平坦なアドバイスやうんちくは、機転が利いてなかったり融通が利かなかったり、応用に乏しいバイタリティしか感じれないきがします。
生活困窮者が増えた新型コロナウイルス禍の21年正月、男性が公園で亡くなった。「おにぎりだけじゃ、救えない」。食堂の閉店時間を早めて受け取った都の感染対策の協力金を基に、毎日無償で弁当を配った。
食堂は昨年閉まったが、その後場所を変えて子ども食堂で復活した。ばあちゃんは今も来る。「手伝えよ」。利用者にぶっきらぼうに声をかけ「くそばばあ」「うるさいばばあ」と呼ばれることも。「一戦交えるが、面倒見がいい」と、ある利用者は言う。
外が暗くなった。ばあちゃんは鶏そぼろ丼をいくつか詰めた袋を手押し車に載せ、食堂を後にした。「あした、仲間に配るんだ」
理屈の外枠から、半ば暴力手に見えかねないほどのおせっかいが世の中にあってくれることを嬉しく思う。ただ、生きていたいだけなのを適わなくさせた世間の冷たさや冷酷にも思うところはある。
その中で行動を起こす人はいるんだ。
だって、仲間だから。そういいながら。
この強さに心が大きく揺さぶられます。