近々、HCUに入ってる母が一般病棟に移れそうだという話は、前回HCUで介護認定の算段をした後でそこの看護婦さんから聞き受けていましたが、明日明後日・・になっても沙汰がない時、母の症状にまだ改善がなかったのでは?などと途端に気弱になりだしました。
悪くなったら、悪くなったとの沙汰があるので・・とわかってるのに、人の心ってのは「悪く考えとく」に長ける性質がありますね。
前述のコラムでカルチャーセンターへプレゼンに向かう道すがら、スマホに沙汰があり、本日一般病棟に戻れますって話を聞けました。
その日、ちょうど母の誕生日で、プレゼン前に小洒落た雑貨屋さんにて、病室で脱ぎ・履きがしやすいかかと付きのうわばきと、抗がん剤の作用による抜け毛対策に母から所望されていた帽子を買っておいたのです。週に一度の制約のある面会日もこの日にしてたので、車にも母の「一般病棟用」に着替えも荷物も積んでありました。
プレゼン終了後、その足で面会時間枠に間に合うように移動し、一般病棟に居る母に面会してきました。
顔色は戻ってきてて、発声も随分向上して聞き取れる量が増えました。大きく笑う顔も見せるようになり、返せば入院以来、感情を表に出せないほどの消耗と疲弊にあえいでいたんだと思いが至りました。
「よくがんばったねえ、良かったねえ!お誕生日だよ、おめでとう!」ってプレゼントを渡すと、見覚えのある母の笑顔をマスク越しに見れました。
本当に、ぱっと花が咲くみたいに普通に笑ったんです。
あー、何日ぶりだろう、この普通の笑顔。
あー、なにがこんなに嬉しくさせるんだろう。
母は靴より、帽子に目が行ってて「いいねえ♪」と言います。
そのそばから、枕を指差し「ほら、抜けてるの」って目立つ本数の髪の毛の抜け具合を指し示しました。
「それでも・・・下の階(ICU・HCU)にいたときより、ずっといい」って嬉しそうに目を細めてました。ほんと、そうだよね。
窓もなかったし、時間の感覚を、季節の景色も見えないで過ごしてきた数週間。
それが今は空が見える部屋にいるんだもん。起き上がれてないけれど、空が見えるんだもんな。うれしいよね。太陽光が温かい・・・そう、桜が咲きだす季節になっちゃってた。
持ってきた荷物の病室での収納場所、持って帰って欲しがってる衣類、たくさんある飲料物の冷蔵庫への収納を母の「使い勝手のいい」位置に采配してる間に、15分しかない面会時間は尽きました。
母もこの日この階のこの病室に来たばかりだったし、くたびれとホッとしたのがないまぜな顔つきでしたから、このくらいの時間で良かったのかも知れません。
「じゃあ行くね」と声を母に耳元でかけると、手を差し出したので握手して病室を後にしました。
全然話らしい話はできなかった。
今の治療されてる内容や、食事は摂れだすのか(この日まではまだ絶食で点滴で過ごしてる)など、顔見て聞いときたかった話はできなかった。
それでも、母がごく自然に喜んだ顔は、やっぱり心のなにかを満たしてくれたし。治して出してあげなくちゃって、すごく思い直せた一日でした。