土井先生と佐伯先生の話 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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土井先生のたたずまいというか、物腰の向こうに「そうたいそうになさいますな」な人らしい体温を感じるのです。とてもホッとします。

「みんなこのごろ、料理とは味つけをすることだと考えています。でも、和食の重要なポイントは、味つけの前の下ごしらえ。人為的においしくするためではなくて、食べられるようにする範囲のことでよいんです」と話す。

うわ、ほんまや。先生に見透かされたわ。

なんもかんも醤油に油に塩。あかんわね、そらそやね。

南北に長い日本列島は、自然が育んだ豊かな食材に恵まれてきた。「日本料理ってほとんど、名前がないんです。古い文献を見ても、献立には食材しか書いていない。食材というのはその季節に土地にあるもの、それだけなんです。ゆでたり、焼いたりして、うまく並べているだけ。最後に塩やしょうゆやみそをつけるかくらいでしたよ。おいしいものは素材の中にある」と説明する。

しなやかな見立ての言葉たち。自作自演みたいな「いい物づくし」に汲々とする自分が恥ずかしくなります。

今では、外食も家庭料理も「おいしさ」が重視されるようになった。

「意図的においしくするのは西洋的な文化。戦後、カロリーの高いものがおいしいという西洋の食文化が入ってきて、日本人が日本の食文化を否定してしまった。『すごい』料理を作ることが、私たちの食文化や健康を作るわけではありません」

くどいんやね。

しつこくてインパクトしてて、いちいちしんどいですわ。

土井さんが子供のころ、味つけは作り手ではなく「食べる人」に委ねられていた。しかし最近は作り手が味つけにこだわるあまり、「(外食で)しょうゆをくださいと言うこともためらわれる時代じゃないですか。気にしなくていいんですよ。若い子とお年寄り、子供では運動量も違うし、必要な塩分も違って当たり前ですから」。

あー

そうだった。

そういう景色があったわ。

 

今、損なわれてるよね。

「料理をすることは子供や家族の居場所を作ること。家に帰ってきて食事が用意されていること。それは『無条件でそこにいていいよ』という安心につながります」。「料理して食べる」ことが、生活のリズムを整えるのだ。

先だってNHKで「英雄たちの決断」にて、栄養士の日本の始祖佐伯矩サンの話がやってましたね。

経済が強くなってこそ、栄養にまで気が配れるのだ、ととかく言われがちな最中、戦後の政府にお金持ちからもないときに、栄養ある食べ物を、身分の高低なしに、のべつまくなしに充実させるために奔走された話があり、そのおかげで人が健常に育て、結果広く研究や開発に花開く人材の礎をなした話がありました。

 

事実、フィールドワークで戦後の地方を巡った栄養士さんが、生活の底辺に近しく位置してる女性や子どもたちから、飢餓で死に瀕しがちな状況をみており、その悲惨が世相の空気を醸成してもいる描写がありました。

 

ひるがえって、栄養が先に意識されたことは世界に類例がなく、日本がその先駆けにその充足が経済を潤わせる土壌をなしたって点では、経済は順序としては後なのでした。

 

すべてに先んじて、実入りの良し悪しに拘泥されない「栄養」を眼目に据えた姿勢は、ある意味政治よりも充足をはかるべき優先度で世界に流布されるべきだとの、平和の根っこの話とわかったんです。

 

土井先生のおっしゃる料理の周りの景色ってものが、現代にあっていかに貧相に陥り、軽んじられ、なにが荒んだかを思いやることが適います。

 

うまさに惑わすのは自身の心根かもしれんですね。