道具ってんだから、道具以上に見立てても崇めて見せても筋違い | アメブロなpandaheavenブログ

アメブロなpandaheavenブログ

最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 「いつまでもあると思うな親と金」。親がいつまでも生きて面倒をみてくれると思ってはならず、金も使えばなくなってしまうという意から、人への依存心を捨て、倹約せよと戒める言葉である
▼「親と金とは親戚である」とコラムニストの故青木雨彦さんが『ゼニ孝行したいときには』と題する随筆に書いていた。「親孝行したいときには、親はなし」と言うように、散財してから金を大事にしようとしても遅い。自分は親を大事にするがごとく、郵便局で貯金している-などとつづった

▼「金の値打ちを知りたいのなら、まず誰かから借りようとしてみることだ」。100ドル札の肖像になっている米政治家ベンジャミン・フランクリンの言葉という。誰もが簡単に借りられるとすれば、それはどこかいびつである。

お金の話にまつわりだせば、とたんにこじれたり、ひるんだりと、実際に目の前に起きてることに集中が叶わなくなるほど動揺したり、思慮に頭が回らなくなったりします。愚行が増えだすので、心が大きく迷い出すのでしょう。

 

日常使いに大金を持たぬ人が、思わぬ高額を手にする時、豹変を起こして「普段見せないでいた一面」のようなものにまみれる時、周囲の人はそれをして心の奥底で見下げもしますし、落胆もするのです。

 

長期保存が効き、蓄財になり、生活全般の必要物資と交換する価値がある、という道具がお金でありますな。性能の良いコンピュータみたいなもので、映像にも音楽にも連絡手段にも広報にも化す「顔つきの豹変」を伴えます。ただまあ、つきつめれば本当に道具であり、それ以上の価値でみやってると、それなりにバチもあたるというものでもあります。

 

それでも「あの世には持っていけない」ってのは真なりでして、娑婆にいるうちに残さず始末しとかないと、懸念の種になりがちです。上手く使うが道具の本懐なり。