真剣さがいるとき | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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今となっては、「原発は安全なもの」なる神話があったことすら喧伝されなくなった。

東京圏の電力消費に賄えるだけの発電を福島で行う原子力発電。

 

まだ事故前に、福島の友人を訪ねたことがあり、遠く向こうに見える原発の話を山を見ながらしてて、ぽつりと友人が「原発壊れたら・・・チクチクするかしら?」などと冗談とも悲観ともとれぬ調子でうそぶいたのをこの頃やけに思い出す。

 

原発があるからには、ベントがあるを念頭にすべき時代に入ってる。

「プルトニウムは飲んでも大丈夫だよ」と某教育雑誌の裏表紙に漫画でコップに含んだプルトニウム粋を前に、けろりとした顔つきでそういった吹き出しの付いたイラストを見て、戦慄したのも覚えてる。子供がこれを読まされるんだって。

日付が変わった3月12日午前0時すぎ。1号機の格納容器の圧力が通常の6倍に達しているのがわかり、吉田は新たな決断を迫られていた。圧力上昇は、原子炉から大量の蒸気が格納容器に漏れ出ている結果とみられた。すでに原子炉の水位は低下し、むき出しになった高温の燃料が溶け出している可能性が高かった。メルトダウンが現実のものとして吉田に突きつけられていた。

 

このままでは、格納容器の圧力はさらに高まり、格納容器が破損しかねない。それを防ぐためには、格納容器から気体を放出する「ベント」を行うほかなかった。

午前0時6分、吉田は、ベントの準備をするよう発電班と復旧班に指示を出した。

たしか、当時の首相は「爆発は起きない」と公に言っていた。

そのほかではこの人もこう言ってる↓

 

言ってのけたことが、いった本人すら「そう信じたい」手合いの情報では、いったんでも耳を貸した側は、「もう信じたくない」に逸るのは自然なことだと思う。

ベントは、急激に高まる圧力で格納容器が破損するのを防ぐために、格納容器内の気体を外部に放出し、圧力を下げるための緊急措置である。

 

しかし、格納容器の気体には放射性物質が含まれている。原発からは絶対に放射性物質は漏れないと地元自治体や住民に説明してきた電力会社にとって、重大な決断だった。

 

原発事故でベントを実施したケースは、日本国内はおろか、海外でも例がなかった。


重大な決断だったが、吉田に躊躇はなかった。何よりも圧力を下げるべきだと考えていた。隣のユニット所長の福良も「なんとか早くしないといけない」と思っていた。免震棟は、格納容器の圧力上昇が判明した1号機はもちろん、2号機もやがては圧力上昇するとみて、1号2号ともベントの準備を行うことにしていた。

大丈夫と言い張って済んでた神話の終焉であり、原発があるところでは、似通う事態は「起こる」の前提で覚悟がかさましした。もう実際に起きたことなので、2度目も3度目もあると腹をくくる話に急激に向きを変えた。

電力会社は結果、国もそうだが言い続けてきた組織になった。

 

本当に前提全部が「木っ端みじん」になるのを、テレビ経由で刻々と国民は見た。

原爆以外で、原子力汚染の開始になるゴングが鳴る国家。

電源がない今、運転員が原子炉建屋に入って、手動で弁を開けなければならなかった。その原子炉建屋の放射線量は、今や1時間あたり300ミリシーベルトと推定されていた。

日本の法令で許された原発作業員の被ばく放射線量は、最大100ミリシーベルト。免震棟の担当者は、300ミリシーベルトだと、作業時間は17分が限度だと説明した。

17分では、かなり効率的な作業が求められた。開くべきいくつかの弁の位置を正確に把握し、行き帰りのルートを最短にするために綿密な作戦が必要だった。原子炉建屋の中を10キロ以上はある防護装備で走り回らなければならないかもしれない。

あらゆる制約だって人を守り切るものではないし、法令は便宜上の底辺でしかなく、この事態に携わる実働は少なからず命を賭す業務にこの日を境に代わる職業でもあった。

遠く離れている本店は、早くやれと指示するだけで、この困難さに考えが至っていないのではないのか。中央制御室と免震棟、そして東京本店との間に大きな溝があり、その幅がどんどん広がっているようだった。

今読んでも背筋が寒くなる経緯だ。

組織の温度差が被ばくを伴う現場の、今後の人生っを賭す崖っぷちさを把握する気概も感じれない。

 

どうだろう?

今の政治はこの記事の当時より温度的に国民に対して低い。冷酷にも映るし、狡猾にふるまっている。能登の震災に対しての岸田政権の振る舞いは極端に鈍くて希望の声も聞こえてこない。

 

地震がまず起こる島国で、私たちはこの過酷を、今の政権の様そうのまま請け負わねばならぬのは、政治に準備を怠った国民の自暴自棄かもしれない。

 

今後起こる震災に、少なくとも「責任がとり切れず」で済ませてきた政(まつりごと)を幾分か緩和か向上を謀っておかねば、国民は本当にたくさん亡くなってしまう。

 

福島原発の時より弱体化してる日本が、そして今の政権運営が、人を救ってくれるなにかに強靭化を謀っておかねば、私たちはすごくひどい目に遭う準備をしてるようなものだ。

真剣になるときのような気がする。

 

隣国はこうだ。

私たちは、そういう中で生きている。