いわずもがな | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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ある日のサンドイッチマンさんがラジオで言っていました。ご年配者・・・大雑把に50代後半以降の、まだ会社組織に所属してる人たちって、もう体も精神もぼろんぼろんなのに、それでも自身に鞭打って働いてたんだなあ、通勤してたんだなあって、自身が「その年令」に達して見渡した景色は、なっかなかの忍耐の世界だったと。

 

体の節々が痛くなるだなんて・・・それが理由もなく痛さが続いてる。

目も霞んだり、よく見えなくなってくる。耳だって上手く聞き取れない音声域が出てくる。

 

なのに社会の第一線に立ってる、それだけがもうすごいって。

 

ご年配の方々は、みなそう口にしないまま、いや、してたかもしれないけど、他の誰にも耳に届くことなく、黙々と、悲壮な顔つきで頑張ってるのだと。

 

🐼もよく分かるようになってきた。

悲しいことやつらいことは去ったりせず、並行して走ってたりする。

解決するかどうかも知れない。

一緒に過ごす人は大丈夫かと心配が絶えない。

誰とも過ごせぬ孤独を耐えぬけるのかと、見えぬ未来に不安が渡っていく。

 

あればあるくるしみが、

なけりゃないくるしみが、ある。

 

そーゆー、互いにいわずもがなのうちを、「お前もそうか」「こっちもそうだ」とアイコンタクトの内に察し合い、声もかけないまま、また互いの道なりに歩を進めていく。

 

どうやらそれでいいらしい。

決着と解決以外の悶々も、そのまま、悶々だ。

節々は痛い、見知った人が苦しんでるのがつらい、自分も大丈夫とは言えない。

けれど進むんだ。

けれど歩くんだ。

 

こんな当たり前が、私たちのいわずもがな、なんだな。