尋常ならざる日本のアニメの浸透と摩擦 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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オタク心を思えば、たぶんきっとですが、国家の統制より先に、アニメがそのものを見たいとは思うのです。されど愛国心もないわけにいかない国なので、「それを優先する人」と「そこはしない人」の温度差の中で、キラーコンテンツ扱いに持ち込む「片側」がある以上、どうしたって「国内で見るわけに行かせぬ」に至るわけです。

 

国内環境と事情がそれをしますけど、それって米国でもヨーロッパでも、「日本のアニメ」が別格なので、どうしようもないのです。

国ごとにある倫理規定は、たしかにモラルの維持に大事ですし、あらがってまでは視聴できないんですから、日本に行くしかねえ!になるわけです。

 

 

 

日本アニメが先だって「ジャパニメーション」なる正体のないハンドリングされたことがありますが、一旦導入されれば、そこには「日本アニメの記号」がオノマトペやら漫符、SEの意味合いや、モンタージュの間合いに至るまで、「子供だましではなさ」まるごとシンパシーを抱かせるにいたります。

 

ここにアメリカンコミックや、フランスのバンド・デシネと風合いの違いが際立ち、極端に言えば「日本のアニメ記号」がぐいぐい世界を席巻するに足るほどの濃密があります。

 

表現方法や倫理観ぶっちぎりの側面もありますが、画面の美麗さはフランスあたりではアート扱いですし、されどその過激は時折「国家間の障壁」にもあたるほど、ギリギリを攻めてもいます。

 

作中に出てくる「おにぎり」「たい焼き」「たこ焼き」などが海外の方には「なになのかあれは?」でしょうし、「温泉回」「学校の描写」は世界に通底するやりようではないので、いくらか異世界感すら漂うはずです。ここまでをエスニックとするのではなく、「日本のアニメ特有」の「当たり前」土壌の「お約束」。是か非かといえば、「受け入れてくれるなら、どうぞ」くらいのスタンスでしょう。

 

「日本のアニメ表現のまま、そのままを」を流通させられないとき、例えば「ロボテックシリーズ」みたいに、複数の作品世界の描写をこじつけみたいな編集で自国内に流通させたりするなど、いくらかの変則までも許容してでもイントロさせるなど、時代の趨勢は「日本の作品はそのままでいろ」の気配が強く流布されました。

 

それこそアニソン歌手が外国向けに現地語で歌ってた時代の後に来たのが、現代では「日本語で歌え!」という現地国の方が「日本語の語感そのものの歓迎」に至るほどで、下手な外国の自国文化の流布努力より、よほど効果的な広範化に寄与しております。↓

 

時代の趨勢・時流にどこまで日本勢が食らいついていくかと言えば、たぶん戦略めいたものより、陶然と「いつも通り」でさえありさえすれば、どのみち世界に「日本のアニメに匹敵してるもの」はないガラパゴスなので、せいぜいが中国か韓国の「なんちゃって日本アニメ」みたいな類似品が出てくるくらいでしょう。

 

でもね、オタクってのはそこいらへんの嗅覚が異常なんで、外国人でもその「温度差」を許したりしないはずなんです。

 

これでいいと思うんだよね。これで衰退しても、それもそれでいい、それが日本のアニメですんで。