大阪はそうやない | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

 

実際、大阪は外から来る人にとても親切で人懐っこく受け入れてくれる土地柄でした。

愛知の三河地方出身という比較的「がんじがらめ」が多い成長期を過ごしてきた身には、大阪の「まあ、ええやん」な感じがすこぶる心地よく、「大人」がそう振る舞ってくれる自在さがすごく好きでした。手だれてるのです、人を受け入れるのに。大人や社会サイドに、柔軟があり、言葉の使い方一つがもう「そっちに志向」してるので、地域一帯がその空気で醸成されています。

そのありように若かりし🐼は随分感化を受けました。大阪に薫陶を受けた心地です。

 

若かりしときですから、まだ映画を学んでる時に、2つのことが気がかりになりだしました。

ひとつは「東京に持っていく」とか「東京にはないもの」「東京には負けない」なるフレーズでした。

 

個人的には大阪も東京も大差なく思ってました。そもそも「名古屋より大きいとこ」の認識以上はまったくなかった口です。物差しそのものがなかった、ってことですね。これが幸いしました。

 

後年、その年規模が名古屋が大阪の1/2くらいで、大阪は東京の1/6くらいで見積もればいいとビジネス上で知り、となれば名古屋は東京の1/12クラスの規模感で思えばいいのかって知りました。

 

名古屋でうまくいくものは、東京でも全国でもうまくいく、と称される商慣例のジンクスがあるのを知りました。

 

名古屋は世知辛い地方都市規模ゆえに、絞りに絞られ、削りに削られて、挙げ句「お値打ち」感を出してこいと迫ってくる庶民感覚のケチさも相まって、ここで頭角を顕すまでの研鑽をつまされると、おっつけよそでも通用するくらいのクオリティに登らざるを得なくなってる、といったところでしょうか。

 

名古屋でそうですから、三河地方になればその度合は一層先鋭化してて集団で強物へ立ち向かう結託前提の気風が醸成されるんです。

トヨタのような企業風土が席巻し出せば、「そりゃうまくいくわな」と思うくらいにはケチで辛辣で内側を知るほどに空寒くなります。

と、ゆーわけで🐼は大阪の気質が大好物でした。

 

とはいえ、「二言目には東京」を引き合いに持ってくる理由は大阪を離れるまで飲み下しにくいものでした。大阪は大阪でええのに、が未だに感慨で、余計な対抗心は無用ってのが「大阪の外から来た人ら」の本音です。東京を羨望し、敵対する気性で奮い立つのも分からないでもないのですが、大阪ってところの魅了はそこじゃないので、「いーのに」て思います。

 

2つ目は、「すぐに落語家とか漫才師が出てくる」です。

映画撮ってる時に「手っ取り早く」有名人を擁しとけって言う空気が出るときが幾度もあって、そのとき誰かの縁故で漫才師やら落語家を突っ込まれるケースが多かったのです。

 

これ、本当にいらん文化で、そのネームバリューは別に要りませんってなケースを多々覚えました。振り回されるんですよ、その半端な有名さとやらで。そこはいらんのです。作品のムードがかっさらわれるし、変なベクトルが出ます。もう半歩踏み入れば、「大阪テイスト」が出るばかりで、大阪にいるからって大阪が出したいわけじゃなさ、に全く相容れないのです。

 

映画はどこでとっても映画ですから、なんも関西弁かて地の人が聞けばそれが奈良弁であったり神戸なまりであったり、京言葉、紀州、もしくは西日本独特の「共通言語的なイントネーションの関西弁」かは、おのずから匂い立ってきます。せいぜいその「曖昧さ」でいたいのに、漫才師と落語家で一気に上方にさせられてしまう。任じられた方も「自分が出るからには」みたいな刻みも目論んでくるので、どんどんベクトルがぶれます。

 

ここが大阪のきっついとこでしたね。

町でカメラ向けてれば子どもたちは判を押したように「NHKぇ?」と興味深そうな顔するのんも大阪やんなあ、って思い起こされます。

大阪がかつて「日本一の街」だったことをご存じだろうか。

1925年、大阪市の人口は市域の拡大によって211万人を超え、関東大震災の影響で人口が減っていた東京市を抜き去った。当時の大阪市は工業出荷額も日本一、面積も日本最大。この街は、「大大阪」と評されるまでになった。

江戸時代に「天下の台所」と呼ばれた大阪は、多くの企業の創業の地でもある。たとえば、住友商事、伊藤忠商事、丸紅、武田薬品工業、サントリー、日本生命、朝日新聞、パナソニックなどが大阪発祥だ(社名はすべて現在のもの。以下同)。

文化土壌、気質としては先取の精神に富んでるし、柔軟さが社会に行き届いてるのもいいところでした。

社会規模にそぐわぬ「起死回生の一撃」を喧伝する気風は実際肌感覚でありました。そんなんせんでええのに、が本音の人らもごまんといましたが、景気のええことくらい言わな!言わな損やで!言うだけはただ!なる威勢が勝った形で、賢い人らは「まぁやってみなはれ」が続いちゃった気がします。

 

おっつけ、社会にまだ残ってたリソースが無為に食いつぶされるのは、「威勢のいい知事さん」らが跋扈した辺りで慢性化し、威勢のいい人らが政治進出したとき、慎重な人らがそっぽを向いたし、乗り出した側は引き返せなさに目が虚ろになりました。規模相応を是とした大阪の気質はしくじる気配を帯びましたし、未だその呪縛は解かれる気配を大阪自身が持ちえません。

 

これらの開発は、都市の「文脈」や「歴史」をほとんど無視して、いきなり巨大な建物を建設する「インプラント型(埋め込み型)」の開発だったからだ。衰退する都市にドーピングをするかのように無理やりに建物を造る—その開発手法からは、かつての栄光から転落することへの焦燥が垣間見えはしないか。

「湾岸の開発において興味深いのは、ランドマーク性の高い巨大で高層の建物をつくろうとしている点です。大阪には20世紀初頭に建てられた通天閣というシンボルタワーがありますが、その行き着く先がこれらの塔の数々だったのかもしれません。塔は権力の象徴です。そこからは、『一番がいい』といった無意識が見え隠れするように思います」

然り、これですな。通天閣以上の高さのもんはいらんかったんです。あの高さまでが大阪に心地の良いものでした。大事なんは高さやなしに、適切さであって、大阪にはかつてそっちのほうが周知されたものだったのが、中途から露骨な見栄に入り、大打撃を受け続けています。

「そんなん、していらんわ!」って言える街だった内が、正解でした。

ちょっと前まで日本一の街やったんや、東京には負けへんで—大阪財界や政治家の声が聞こえてきそうである。

これゆーてるあいだは「東京ありき」の論法に乗っかってる悠長ですわな。

いらんのです。東京なんか見ないでいいのです。東京は大阪を見てないんですから。

西日本の本拠地で十分ですやん、に立脚してれば太刀打ちも出来たでしょう。

 

「どこかを羨望して動く」はろくでもない帰着にたどり着きます。

(今回の大阪万博などらは)一発逆転を狙うかのような試みには暗雲が垂れ込める。当初1250億円だった建設予定費が膨らみ続け、2350億円となったことは周知の事実だ。近畿地方でも3分の1の人が開催に反対している。

1章に登場した、大阪出身、在住のライター・木津毅氏はこう語る。

「仕事柄、東京に行くことはよくありますが、万博に関連する開発で、大阪の街はどんどん東京に似てきているように感じます。小ぎれいになった天王寺周辺などを眺めていると、変わっていく街の風景に切ない気持ちが込み上げてくることもある。

大阪は東京への対抗意識を持ちすぎて、かえって自由な発想を持てていないように思います。自分も含めて、いま大阪に暮らす人に必要なのは、ネガティブな部分を含め現状を見つめることではないでしょうか

ええ言質です、耳をここに貸すべきです。

 

小松左京さん、堺屋太一さんらが大阪万博を推進した際は、東京なんか見てなかった。大阪の吹田で万博をするっていうだけの、気概一つで動けてた。

大阪発でもなかったし、日本の催しの肚が誰もに宿ってて、現在のポピュリスティックな気配は微塵もなかった。大阪のええトコがうまいこと巡ったいい企画だった。

 

大阪のええとこは、よろずめいた取り込みが心地よく機能して、東京も大阪もあるかいな、位のスケール感のいい意味での「アホさ」の宿りだったのに、正直歴代の政治があまりよろしくない気がします。縛りが見えだしてるし、窮屈さがあって本来の大阪の良さに遠くなっていってるのは、「推進側」にも心当たりがある気がします。

 

🐼が好きな大阪は無印だったし、気風が爽やかで優しかった。

今の大阪はラベリングに忙しすぎてせっかちで、クレバーさを気取るけれど、🐼なりの関西愛がそれはちゃうで、とエセ関西弁で思うのでした。

 

関西のええトコはそんなもんやない。

もっとよそごとやん。