大阪のここかあ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

🐼は2度ほど通った経験があるくらいで、お世話にはなれませんでしたが、心底落ち込んでた時に友人が景気づけに誘ってくれたことがありました。その通りは独特の空気があり、そうか、これほどに強烈な世界があるのだと当時思ったものです。

 

記事から、これほどの先見があった場所なのかとびっくりしました。客商売の先鋒部分でもありますし、コロナ禍なんてまっさきに疑念の目を向けられかねなさはわかりきったことですから、さすがとため息が出ました。これくらいせなあかんのでしょうね。

 

飛田新地が「全体の統制が取れた優良な営利組織」であることだ。新地全体で利益の最大化という明確な目標があり、それを具体的に実現しようとするマネジメントがしっかりなされている。何かことがあると、全店が一斉に休業したり、一店残らず時短営業を受け入れたりする。内部規律がものすごく取れている優良な団体なのだ。

これです、この見え方はなかったんです。びっくりです。

意外に思われるかもしれないが、とても「安全」で「安心」できる場所である。飛田新地で犯罪がまったく起きていないとまではいえないが、飛田新地料理組合の自主的な管理努力もあって、治安は比較的安定している。

 

 この街で傷害事件、誘拐事件、窃盗事件など人々の安全が侵されるような事件はあまり起きない。なぜなら、「ものを盗まれたり怪我をしたりするような危険な場所だ」となったら客は来ないからだ。組合によって値段が統一されているので、基本的に明朗会計で、ボッタクリはない。値下げ交渉は、ほぼ無理である。

 

 商売繁盛のために、飛田新地は常に「安全で安心できる場所」である必要がある。だから、一般の歓楽街以上に治安がよく、秩序が保たれている。休業や時短営業など国や地域に順応することによって「ちょんの間の街=危ない場所」というイメージを払拭し、「非日常感あふれる異界」に対する人々の不安を取り除いているのである。

異世界感は実ってる。歓楽街には違いないのに、そう書かれてみればそうかも知れない。

彼らは口々に「来てよかった。日本の素晴らしさを感じた。ぜひ、また来たい」「日本の歴史をいまに伝える文化遺産として、日本はこれを誇るべきだ。世界で認めるべきだ」と飛田新地の情景を称賛する。飛田新地を「古い時代の日本の伝統文化を伝える場」として捉えているようだ。

 いま、「TOBITA」の名は世界中に轟いている。実際、新地内には英語表記のマップや外貨両替機があり、外国人観光客の出入りが激しいことがわかる。

 また、子ども連れの日本人ファミリーもいる。歴史的な文化遺産を見物に来た観光客のような感覚で、社会見学や歴史探訪として小学生ほどの子どもを連れてきている。

そうか。そう言えばそうなのかもしれない。度を越した空気があそこにはある。

日本、と言われればたしかに日本だ。

これら国内外の観光客たちは、やはり冷やかしにすぎず、大勢の人が集まったからといって新地内の料亭を利用する客が増えたわけではない。国内外の大勢の人たちにその名を知られることと料亭を利用することは違う。近年は女性たちの間では「飛田に来たら稼げる」というのは昔の話になっているという。冷やかしの客が増えて街は賑わっているが、店に入ってくれる客が少ない。

 

 それでも、若くてきれいな女性にとっては、飛田新地が「稼ぎやすい街」であることは変わりない。人気が出れば、飛田新地は「短期間でケタ違いに稼げる」場所であることは間違いない。

では、飛田新地の未来はどうなるのだろうか。結論は「このまま残る」である。その理由は「地域社会に貢献しているから」だ。

 

飛田新地が地元にもたらしている経済効果は計り知れない。大阪市の税収増はもちろん、客や働く女性などの関係者が周囲の飲食店や衣服店、交通機関や宿泊施設などに落とす金額は相当なものである。飛田のおかげで地元経済は助かっている。

 飛田新地料理組合はコロナ対策から見て取れるように、地域社会に迷惑をかけないように気を配っている。この徹底した地域に対する配慮ゆえ、飛田新地は必要とされ、いまも生き延びているのだ。

時代の趨勢に準ずるばかりが是でもないわけですし。この結論の佇まい、🐼は支持したいです。

この許容はあっていいと思う。人が人を喜ばせる場所でもあるから。生きていける場所の拡張例でもあるから。

事実、大阪の人々の「いいところ」の景色でもある。