浅野いにお先生のデジタル取り込み | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!



 

NHK「漫勉」でフォトショップのスペック限界みたいな使い方を見てて、そこへペンでの加筆などアナログな手法をどんどん加えてらっしゃる姿に戦慄したのを思い出します。

 

コマ密度の限度・限界に挑んでて、これ以上のやつがいるのかみたいな佇まいが、静けさのうちに宿っていました。

 

画力がある上で、デジタル画像の取り入れを際限なく持ち込める方故に、「どこまでも凝れる」がゆえの「ここいらへんで」が途方もなく見つけにくい気がしてました。

 

写真を使って背景を描く手法は、手描きに比べるとかなり時間を短縮できる。ただし、手抜きと言えなくはない〝後ろめたさ〟を感じることから、その技法だからこそ生み出せる新しい作品づくりを目指そうと、浅野さんは心に決めたそうだ。

 

「リアルな生活感が背景にあるからこそ成立する話とか、キャラクターを極端にデフォルメすることで逆に背景が主役になる作品など、今にないコンセプトにすることで、自分の中で整合性をつけていました」

 

 3DCGを試験的に使い始めたのは代表作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』から。

 

「連載の後半はかなりCGの割合が増えてきて、連載終了の頃には室内などほとんどのシーンがCGになり、漫画に使える実感がありました」

「できる」と「やる」は人の中側では別セクションで機能してて、そこを並行させる胆力がないと技法が分かってても普通なら「取り入れない」を選択する。でも先生はそうしなかった。

愚直なまでに取り入れた。ブサイクも変な形も味わいとして馴染ませる方に執心できてた。

 

誰もがそうはしないために、かえって目立つことになったし、そのクオリティは「連載」ゆえに

向上し、頻度を高めた。クライマックスに向けコマ内に収まる情報量は、物語をかろうじて進捗させるほど濃厚に至ってた。

 

これは物語を読む漫画なのか?と怯むほどのスペックで各漫画のコマが挑んでくる気配だった。

 

「主人公であるゲーム会社の社長のおじさんと、殺し屋の女の子が出会うシーンを作りたかったのですが、道で〝偶然バッタリ〟では説得力がない。いいアイデアが出なくて生成AIに『ケガをしている殺し屋の女の子と中年男性が街で必然的に出会うシチュエーションを教えてください』と聞きました。

 

そうしたら『主人公が医療関係者であれば病院で会う可能性がある』と言われて『確かに!』と。ただし主人公のおじさんは医療関係者ではないので、そこは僕のアイデアで、ケガをしている殺し屋が闇医者のところへ行き、主人公のおじさんはコロナにかかったことを周囲に知られたくないので闇医者に行く……という設定にしました。要は、担当編集者やアシスタントと打ち合わせで壁打ちするのと同じことができるんです」

 

 章ごとに英語で入れているサブタイトルも生成AIの回答を参考にして作られたものだ。

 

「出てきたものの中から語感のいいものを選んで、さらに『このタイトル、アメリカ人にはどう捉えられるの?』と聞いて確認しています。また、PCの画面上に表示される掲示板のスレッドや、背景にある映画のポスターのタイトルとキャッチコピーなど、どうでもいいんだけどディテールとしてそれっぽい素材が欲しい時は、AIの回答がむちゃくちゃ参考になります」

すでにAIがマンガ制作に一口も二口も噛んでいた。でもこれでいい。

 

ただし、「乗りこなす」人はそれなりのストレスを常時維持することになる

ここのストレスフリーを叶えるべく技術の革新は進むでしょうが、インターフェースだけにとどまるのか、記事のように「ドラマの建築」にアイディア以上のふるまいで忍び込むのか、たぶん作ってる当人すらめまいに似た感覚で、そこへダイブするという「読者側に親しい執筆感覚」に見舞われる気がします。それが吉なのかどうかが、正直怪しんでいます。