アニメがすごかった、んじゃない。スラムダンクが映画だったんだ。すごい映画のアニメだった。そしていまんところ、邦画はアニメに負けてるし、世界に先んじてるコンテンツは日本のアニメである。間違いなくそうだ。たぶん暫く続くはず。
スラムダンクの突き抜け方は、原作のできの良さが間違いがなく、その上でアニメを作る際に原作者をとことんリスペクトした制作環境があり、「時代背景」をぶっちぎった上で作り切ると覚悟した肚(はら)があってくれたことで、この結果にたどり着いてる。
この制作中とのどこが淀んでもふらついてもこの成果に至れなかった。
世間の顔色を「伺わなさ」がなくちゃ、こうも貫けなかった。
出来上がってしまえば「これ以外のやり口はなかった」と声が上がりだすが、それにしたって「作りきった側」が背負ったリスク部分はことごとく制作側に負荷となったはずで、その成功は「約束されたなにか」で成り立ってたわけじゃない。
うまくいこうがいくまいが、作り切ることにした、なる心情が根っこに感じられたし、ある意味時代に逆行もしてる熱血主眼の作品でもある。
つまるところ、周りを気にしなすぎた上で、「どうしても作り切る」ということに、観客も配給側も「乗っかる側に転じる」という転換がこの作品にはうずいていた。
そのうずきは、「世界の他所では生まれ得ない」アニメとして、映画としてヒットした。
世界の大半が未だ「ディズニーのキッズアニメ」をアニメと決めつけ、子供向けとした『アニメ』を日本の「大人だってみるアニメ」と強行し、突破し、現実の方を破壊しに行ったから、映画然としての成功に至った。
その刹那に流行りものだった材料も要因もなかった。突然生まれたような作品だし、類例がないのは、原作者の意固地さにも所以した。
でもものづくりは元来そういうものなのだ。マーケティングからはこの作品は生まれないと思う、頑強さと意固地さが根っこに疼くから、この稀有を逃したくなくなって、みんな見たくなるんだ。
結論でいうと「この作り手たちのルールに、観客たちが合わせに行く」風潮を創出したのであり、これでまたいっそう「日本のアニメ」が「映画」としての根強いコンテンツに息吹を大いに含めた。
仮に版権を他国が買い取るなり借り受けるなりしたところで、スラムダンクばりの熱波はまず起こせない。作家の意固地と日本アニメのど根性は、真似し得ないしたぶん越せない。
蛇足とは思うが書き添えるが、日本の邦画、テレビドラマが世間を席巻できないのは、その根底に根付く日本っぽさが世界に共通する記号になり損じてるからだし、そこを改めもしなければ、「日本にも、世界にも当たるように」なんてな些末な根性が透けて見える。
アニメは世界に匹敵してくる記号がない。ディズニーを挙げる輩もいるかも知れませんが、かれらは思ってるより期待されてません。なんならピクサーアニメもオーソドックスを狙うにしてもさほど長続きする見込みを覚えません。
されど日本にアニメはたぶん続きます。
もう無理くり「ジャパニメーション」なんていうクソダサいネーミングでそれっぽく囲ったり守ったりせずとも「アニメは日本の映画」で通用するくらい「記号化」が世界に伝播したし、浸透も早い。
コンテンツ云々なんて言う次元のくくりすら、重くてクソダサい。
たぶんこのままいける。それくらい草の根から生き残ってる業界なのだ。
裾野が尋常でなく「日本そのもの」な記号なのだ。よそはたぶんおこぼれしか手にできない。
それくらいのオリジナリティだ。ここまでの研鑽を世界が積むには優に半世紀は投資の時間を擁するし、たぶんそのスタミナは世界にはない。ざまー!