クレバーな人 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

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この人は賢い上に人情がある。芸風はいささか趣味の合う合わないを伴うけれど、基本的に誠意が伴っているし、仰ってることが飲み込みやすい。

『弱者の戦略』(新潮選書)という、雑草の生存戦略について書かれた本を読んで以来、ぼくは雑草芸人を自任するようになりました。強いイメージのある雑草は実際は弱く、ライバルのいない過酷な環境で生きているから強く見えるというのです。つまり雑草=パイオニアなのです。ぼくも芸能界で生き残るために、子どもむけのネタを始めたり、教育系のYouTubeチャンネルを始めたり、いろいろなことに挑戦しています

 

このワンセンテンスだけでもう魅了が適ってるんだもん、すごいわ。

「雑草には踏まれても頑張って立ち上がって頑張るというようなイメージがあるかもしれないけど実はそうじゃないんです。雑草にとって1番の目的は花を咲かせて種を残すことです。なので踏まれて立ち上がるエネルギーは必要ないんです」

 解説は「オオバコ」についてで、「踏まれるスペシャリスト」として「オオバコの種は雨に濡れるとネバネバした物質を出します。そうして靴の裏や車のタイヤにくっついて遠くへ運ばれる。踏まれる事を利用しているんです」と紹介した。

 

   「柔らかさとかたさをあわせ持つ」として「葉っぱは踏まれる衝撃を吸収するために柔らかい。柔らかいだけだとちぎれてしまうので葉っぱの筋はかたい。花を咲かせるときに茎を伸ばす。このとき踏まれてちぎれたりしないように茎の中をスポンジ状にして、しならせて衝撃をやわらげる」とも解説した。

 

   その上で「オオバコのように時に柔軟に時に芯を持ってむしろ踏んでくれてありがとうといえるように私はなりたい」

ダメージに見えるものが、そこに訳が含まれ、その経由なしには成就も為し得ない暗喩しています。

 

なにか物事が進む時って「自分の勝手のいいように」を望みがちなんですけどね、生き物の面白いところってのは、その当事者が「否応のないもの」に向かい合ったときの態度も、一つの評価にしてる際があったりもします。

 

かてて加えて、当事者が苦しみ悶えたって、そこを経由してみせた後が、「そのほかではありえない類のブレイクスルー」の突端になったりもします。

 

生きるフェーズの、大きな変遷ってものがあるのだとしたらですね、その当事者が預かり知り、見知った範疇には、それは見つかってないのでしょう。


まだ見ぬ領域や、周囲から放り込まれたものの方に、当事者自身が検討もしてもこなかった新鮮が紛れ込み、化学反応を起こして、新しいナニカを発揮しだす。

「ゾーン」と呼びならわす人もいるでしょうね。

 

そういった経由を果たせるのは、「まだ見知らぬ何処かのナニカ」にすら自身を委ねられるだけのクレバーさか、阿呆さがないと、その拡張に至れない。

小島さんはこれまでも自身のSNSに、同様に雑草の解説を投稿してきた。

   1月8日にはたんぽぽについて「ロゼット状の葉っぱは地面に身を寄せて寒さをしのぎ、葉を広げて光を浴びる。その栄養は地中の根っこにたくわえられる地道な努力はなかなか目には見えないけど寒い冬を過ぎれば春がきて見事な花を咲かすのだ」。

 

   23年12月2日にはシロツメクサについて「基本は三つ葉なのだけれど踏まれたりして傷つくことにより四つ葉になることがある。本当の幸せは踏まれながら傷つきながら育まれる!?」と投稿している。

頻度高くこうしたことに着眼・着想するのは、ここに活路ありと、この人のクレバーがささやくからでしょうね。


この勘の良さはこの人自身を助けるはずです。突端でしかないフレーズに見えて、その実本体そのものだし、ブレずにここに固執できる姿勢の良さが息づいている。

 

うまくいかないはずながいって、周囲がそう思えだすんだもん。いいじゃないの。