正しさ以外の答えがいるときに、渡してあげたくなる、ひととしてのどうしようもなさ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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「この地域の9割の家が、住める状態ではない。私の家も雨漏りが酷くて、もうダメみたいです」(中略)被災した40代女性はこう話した。自宅をリフォームした際のローンも残っており、新しく家を建てる余力はない。

県内の孤立集落などでは住民全員を避難させる措置が取られており、多くの住民は「もう故郷へは戻れないだろう」と断腸の思いで避難している。ライフラインの復旧も見通せない故郷に住み続けるか、他の地域に移住するか。被災者たちは重い決断を迫られている。

それでもなお生まれ育った場所に住み続けたいと願う人は多い。穴水町の麦ケ浦地区は、カキの養殖が盛ん。穏やかな入り江に養殖を生業にする40人ほどが暮らす。

小さな集落は一時、孤立状態に陥り、現在でも水道や電気は通っておらず、残ったのは11人ほど。そのうちのひとり、馬道百合子さん(82)は3代続くカキ漁を60年以上続け、「カキを海からあげるのは重いけど、どうにかまだ私の力でもできる。ゆっくりゆっくりとやっている」と今も現役だ。

 

そうか、ゆっくりゆっくりとなら、ばあちゃんでもできるか。

今のあり様の中で、ゆっくりとでもできることがあるのって、すごくいいことなのよ。

重要で大切なのよ。「どうにか」であっても、適うことがあるのは、人としてのモチベーションで生き続ける底力だから。

 

孤立状態を放置もできない・・・

事情は当人だって重々わかっている。

誰かに迷惑をかけたいとも思ってもいない。

 

けれど、自分が一番言っておきたいことを、いくらかでも胸にしまっとくつもりでいても、こころが希求するものがある。

自分には偽れないでいいのなら、といい添えるのであれば、ここにいたいんだよ。

 

誰彼に迷惑かけたくない心象をとってくれるから、黙ってくださっているけれど、それにならうってことは、自分のほんとうの気持ちの方を捨て置くという決断が迫られてる。

 

音を立てずに、そっとそこに捨て置いて、去る方は自分であるという、そういう本当さは、現実の前でとても静かに強いられるし、起こる。多くの人もそうだから、と慰めて、自分に嘘をついて、新しく「生き続ける」の開始線に立ち直す。

 

慣れ親しんだものはいくつも損なわれた現実は、分かってもいるけれど、飲み下すとは限らない。それが人ではないか。

 

取り戻せやしないんだ、とは脳の片隅が分かってるのに、魂とか心のほうが「それはそうとして」、と脇に置きやり、どうにかこうにか心を据えつけなおすあり様を探ってる。

 

安直に「飲み下す」たって、それはもはや「自分しか憶えててあげられない」亡くなった人や、今はもう見れない景色を、せめて自分が記憶にとどめてあげなくちゃ、が先にある

 

心あるものならば、誰にもこれを無碍(むげ)にはできない。

心の落とし所を見つけるまでは、せめて・・・という配慮くらいは、事後にも適う唯一の「以前からの連綿」であってくれることだから。

 

ここをシステマチックに「さっさと・・」と言ってのけるのは、心の所作とは言えないし、大きく禍根を残す出だしを生み出してもいる。

 

余韻と言えば余韻でしょう。

後ろ髪引かれる思いというのは、頭を後ろの方から「いかないで」と手や腕の感触や温度を憶えてるから億劫さがあるのであって、勘違いでも誤解でも妄想とも片付けたくない

 

夜はランタンの光を頼りに飼い猫3匹と一緒に布団に入り、暖を取りながら眠る。

居間からは穏やかな海を見渡せる。武雄さんが残してくれた丈夫な家には、家族で暮らした思い出がたくさん詰まっている。

「先祖代々の力をいただき、ここで暮らしています。ここに生まれ育って、お父さんも3つ隣の村から婿養子に来てくれた。この村から離れるつもりはまったくない。お父さんが建ててくれた家に住み続けたいし、ここで亡くなるならなんの後悔もない。今度、上の娘が退職し、夫婦でこっちに戻ってきてくれる。今はそれが一番の楽しみです」(百合子さん)

百合子さんは昔まだ娘さんで、旦那さんになってくれた人が婿養子にまでなって家に来てくれた。嬉しかったんだろうな。ここの村にいたから、そのエピソードがあってさ、ここで年をとっていけたんだ。家族を持てて、生活があって、旦那さんと悲喜こもごもを、ここの景色の中で育んで、忘れ得ない自分の人生に刻んでこられた。

ここにいたから。

 

お父さんが建てた家に住まえてた誇りもあった。地震はそれを傷めもした。

 

若かった百合子さんはおばあさんになってしまったけれど、生きて過ごしてきた息吹は、この家屋にいくつも見つけるし、柱の傷、使い込んだ家屋、慣れ親しんだ食器たちは、旦那さんと過ごした記憶を思い起こせる魔法みたいなアイテムでもある。

 

それらを憶えててあげられることで、お父さんは生きながらえてるのに親しい感覚を、肌に分かる。

 

「ここで亡くなるならなんの後悔もない」

 

これは全く嘘がないし虚勢も張ってない。

また、そうでないと、今の自分が、自分でいられなくなって、年老いて記憶こそがよすがの人の老齢期を、広く傷めかねなさをはらむのだと分かる。

 

ここで亡くなれると、旦那さんとの記憶の息吹の中で過ごしきれるというまっとうが叶う。

 

生きるとは死に方でもあるので、その成就は地震からの避難や回避よりも、この年齢の際には上をゆくありようだとできるといいなって思う。

 

俗に言う私たちの避難は、単位として命をカウントもしてる節が色濃く、むろんその気位くらいで向かっていなくては量ある人も命たちを「少しでも多く」救うことが適わなくもさせる。そこを重々承知の上で、分かってる・その上で、百合子さんがおばあさんになってる今の願いが、どうか途切れる終わり方にならないようにって、すごくすごく思う。

 

それは正解ではないのかも知れないけれど、こっちこそがほんとうは正解だと言える世の中であるといいなって思う。

 

それは手間がかかり、見逃してもらえないと適わないいたぐいのものだけれど、「避難」で心のほうが破壊され尽くしきってしまうことの、人生の途絶の方こそが「被害」の再発生の側面にもなる。

 

認知症、痴呆症ってね、施設に入られる方が発症しやすいのは「その地域の言葉遣いや景色」から離れるほど悪化が早いんだって。肌感覚の過ごせ方が、安堵を囲ってくれてないと、心の健康が維持できないんだって。施設従事者からそう聞いてるんです。

 

百合子さんが、生き遂げるのは、たぶん旦那さんの家でのまっとうだと思います。

世にいう避難から、それが正しくなかったとしても、一番いいのはここで生ききれることだと思いました。

 

正しくなくても、生ききりたいを、人はとると思う。とりたいもの。