・・・・・やっぱりなんか、ふつうじゃないよね。
突出したなにかを抱えてる人って、他者とそのシェアができないがゆえに、その誤魔化しついでみたいに権威ぶって排斥や邪険を試みるし、それが適うと分かると、もう自分のほうがそれを悩んだりちゅうちょするのをやめだして、それが「自分が棺桶に入るまで」継続できるよう周囲に押し付けていくようになるんだ。
人様の著名な先生をなじりたいわけではなく、突出した人のなにかは、見えにくいところでその発散とか釣り合いをとるためのバーターがあるものだっていう好例に思うのです。
身近でこう振る舞われたら、わたしはすごく嫌だし、「それを普通とする」のは馴染むべきにも思えないから距離を取るだろうな。
たぶん、慎太郎さん自身のどこかに、その「強要観」が自覚的で、そうした感性の生涯続く連れ合いが家族に影響を落とすのは容易に想像つくから、これが彼なりの精一杯の一つなのかも知れないって、書いておきたくなりました。🐼の私見です。お許しくださいね。