「なんて」を経た起死回生の一撃へ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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同じ心根のことを、わたしたちは言葉にしないまま、そう思ってるんだけれど、くちにするのがなぜだかはばかられて、ちゅうちょの末に「言わないでおこう」の方を選んでもいる。

 

勘付けたことを、後々思い起こせるとは限らないのに、一度思い付けたんだし、また必要があれば思い返せるだろうの気軽さで放り出しちゃう。

 

ほんとのところさ、

思いついたときに書留めれないと、霧散して蒸発して、実は二度と交差することのない道みたいに出くわさなくなる言葉ってすごく多いのね。

 

どうして「逃げてはいけない」なんて答えにたどりついたのだろう

 

簡単に聞き流せるワンフレーズだけれど、通常発想の人の対岸に位置してこれを放ってるのが、文中の「なんて」という一言。

よりによって、この低く見立てがちな方角の方を、選びがちになる人間の習性を嘆きもし、これに勘付けた一員でもある潔さも、ここにこもってる。

 

逃げる以外があればそうしてたし、それしか適わないからそれを決行した挙げ句、叩かれる。

叩かれたって、こちとらそれ以外ないとこまで追い詰められたんだ、なんて言いたくもないし、察してもくれなさを、相手になじり出したい衝動まできっと覚えると思うんだ。

 

まっこうから、まっとうにやりすぎて、こなせすぎて。自分自身で檻にはいりにいっちゃってる私たちは、もっともっともっと許すべきなんです、自分を。ひいては他人を。みんなを。

 

いいのよ、大丈夫よって言葉ひとつがほしいだけなのにね。

それ聞けたら、いくらか気を良くして、向きを変えようかって思わないでもないのにね。