勝負師の言葉 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

生活の毎日に白黒がつく、勝った・負けたの連続である、という将棋の世界。

負ける側は「誰にも負けたくない」人らがしのぎを削る世界という、実にアンビバレンツな職場で、片方が勝ち片方が負けるを毎日毎戦味わう、ある意味クレイジーな居場所。

「負けの痛みは思ったよりもありましたね。いや、猛烈な痛みと言ってもいいかもしれません。でもあまりに痛すぎて、感じなくなってきているような状況です」

人一倍鋭敏な感覚でいなくては辛勝を得る際などは神の采配が巡ることはない。

アンテナを総動員して、感度を高めて、人一倍の勝利を欲する瞬間に見舞わる「負け」は、多分市井の呑気対象な私達には伺い知りようのないほどの繊細な神経が、一斉に負け一色の味わいに囲まれて、狂おしさは尋常ならざるものなところを、上の言葉程度に収斂し収めておくのは、これもまた強固な精神性が求められるでしょうね。

「臨むに当たって、他のタイトル戦と比べると勉強量は増えました。例えば普段の定跡の研究だと90手まででとどめるところを、藤井さんが相手だと120手まで用意する感じでしょうか。藤井さんが相手だとそこまで深く用意することへのやりがいがあるんです」

「終盤です。他の部分ではそれほど劣っていなかったと思うんですよ。

終盤の時間のない中での読みのスピードは本当にすごい。あれが藤井さんがタイトル戦で負けない理由なんですね。将棋は恐ろしいです。勝利寸前までいっても、終盤だけで吹き飛ばされてしまうんですから残酷です。いや、残酷と知ってはいました。でもここまでとは思っていませんでしたね」

この瀬戸際の細密な描写は、いかに事態が深刻で、明瞭で、果敢で、残忍であったかを伝えてくるではありませんか。

弱り苦しむさなかで、強く切り返す要因を相手の中に目が向けていられているし、大勢が自身に傾いている景色の中ででも、その大勢全体ですら「あてにならぬ」なにかで、くだかれるように颯爽と敗退に至った。

 

量ではなく、質のうちに、鋭利があり、趨勢(すうせい)が味方であったにしても、くつがえる。

くつがえるがゆえの鮮烈さは、翻って「油断」と呼称できなくもないんだけど、当人はそのつもりではないから、そうは思いたくないでしょう。

勝つはずだったものが、ほとんど勝ってたはずが、そうならない帰着を射たのは、他ならぬ自身の所作であるのを将棋の打ち手は誰よりも分かってる。

ゆえに悔しさが尋常ではない。異常量を凌駕する悔しさだろう。

 

そして相手(藤井さん)の胆力が瀬戸際でも衰えるだとか見誤るだとかをしない強靭であると思い知り、そこ強固さに勝ってないとひとつの勝ちが逃されてしまうという、なにか曰くいい難い「絶対量」みたいなボリュームを言外に感じます。

藤井さんに勝つには、藤井さん以上のこらえと粘りが常駐してなくては、凌駕を自身に適えてなくては、手にできないと観念するとともに、途方もないつきあわされ方に躊躇のような戸惑いを感じます。

自分でもよくわからない現象が起きているというか、明らかに調子がおかしいですね。勝っている局面で正しい対応ができない。あと終盤で敵玉の詰みも不詰みもわからないことが多くて、詰んでいると思って詰ましにいったら詰まなくて負けた将棋も何局かありました

やっぱり王座戦の影響というか、反動が大きいです。

 

 将棋へのモチベーションも、さすがに下がったように感じますね。

そのことで棋力も下がってしまい、それを取り戻すのに苦労しています。時間が解決するのを待っていると多分、悲惨なことになるでしょうけど、どう抜け出せばいいのか……」

勝負師たる存在が、自身の勝負感を見くびったり目下に見やることを抱くってことは、相当な恐怖でしょうし、しかもそれが対面した勝負時間以外までに飛び火する、決定的な挫折間近なコテンパン。信じぬいてやってきた幹の部分をずたずたに引き裂かれてる。

そこを糧に生き抜いてきたっていう気概と誇りのよすがが、瓦解しだしてる。

勝負師はそこしかすがるところがないのに、だ!

 

事後に自身が今の立場で継続出来きていけるのかと、懸念が先に立つっていうのは怯えであり、この「訳の分からなさ」が相手が見舞ってそうなのか、自身が混濁しちゃってわけがわからないのかすらも、判別が怖くなってる。

 

勝つ、って言葉ひとつには「ただ、勝つ」ときと、「勝ち方」に冴えがあるときがあると思うのです。

 

後者のそれは、ただの勝利よりも、勝ったあとに残る禍根が、あまりに個人的な体験に過ぎる。

以後に再戦や、他者との勝負に迷いが常駐するほどの徹底的な漠とした恐怖のあるほどの「くじき」を楔(くさび)みたいに打ち込んで抜けなくさせられた。恐怖が常駐しだす。

自分が負けて弱いのか、相手が図抜けて強すぎたのかの見極めにも躊躇が始まる。

 

深くも、幾層にも意識層を貫く不安が忸怩たる状態でのさばりだす。

怖いと思うんです、それ。

 

この短い記事の言葉たちの中にぎゅうぎゅうに詰め込まれた焦燥がすごく痛い。

 

すごい記事ですね、いい言葉の宝庫でした。こわいだろうな。先が見えないだろうな。

でも藤井くんも遷(うつ)ろうだろうから、いつかは変節を向かえるんだろうな。

それまでは、「負けないでいる」のも勝負師なんでしょうね。いや、「勝ちを取りに行く」んでしょうがね。ええ。