震災時の対応組織とやりきれなさ | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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2024年の年初、日本では切迫する死の恐怖にさらされる震災や火事が間断なく続いた。

一刻の判断が生死を分ける話がいくつもあり、元旦が命日になられる方も少なからぬ人数で出ているし、日付が加算されるごとに死者数や発見される行方不明者の判明で、心は随分と疲弊している常態です。

配慮が必要な人の生活支援を担う「DWAT(ディーワット・災害派遣福祉チーム)」は、2022年度に全国の活動を集約する中央センターが発足してから初の実践の場となる。過酷な日々を乗り越えるには何が必要か。

「被災地からそんなSOSの連絡が届いた。介護職も被災していて、とにかく人がいないって。褥瘡(じょくそう)やトイレの問題も起き始めていて、誰かが行くしかなかった」。他の支援者ら2人とともに車に乗り込んだ。

 

 榊原さんは保健師であり、看護師であり助産師。小松市で訪問看護ステーションや助産院を立ち上げるなど「地域福祉」を支えてきた。「2次避難されている人もいる。やれる範囲で総がかりでやるしかない」と声に力を込めた。

綺麗事ではない。日々の間に合わなさはそのまま蓄積をする。

対処療法じゃないけれど、のべつまくなしに起こり得ることへ応じて応じてを繰り返しても、加勢があるでもなく、国はプッシュ方式でなどと気炎を上げるが現場の混乱ぶりのあらゆるものが「人手のなさ」を半ば叫びだしそうなイキオイでメディアを経由して挙がっても、それに呼応した充足を為し得た話をついぞ聞けない。

 

どこで話が間に合わなってるかも正直把握されてるかどうかすら判然としない。

これのどこがプッシュ式の支援なんだろう?私が預かり知らないだけなら申し訳ない。

あまりにも、あまりにも、不憫な状況だ。

DWATは災害派遣医療チーム(DMAT)の福祉版。介護福祉士や社会福祉士、保育士などで編成される。大規模災害時に避難所などに派遣され、食事やトイレなどの介助を行い、要介護状態の重度化や災害関連死を防ぐ。ちなみに、精神科医や精神保健福祉士らで担う災害派遣精神医療チーム(DPAT)もある。

 

 DWATは東日本大震災を契機に岩手と京都で独自に設置されたのが始まり。16年の熊本地震で初出動し、その後も豪雨災害などで陰ながら被災地を支えてきた。22年度に取り組みを集約し、派遣調整などを担う厚生労働省委託の「災害福祉支援ネットワーク中央センター」が創設された。

組織は事前に創設され、組織のしつらえまではいい。

設立後の実践に「足らなさ」のブラッシュアップをこの大災害ですることになるとは。

 「心がけたのは被災者を受け身にしないこと。何でもしてあげるという姿勢ではなくて、本来持っていたはずの主体性を取り戻してもらえるよう声がけした」。例えば、避難物資が届いても「取っていってくださいね」と呼びかけるのではなく、「一緒に配りませんか」と促すように試みた。

 「専門職だからと言って、被災者をお客さんにして現場を指揮するのではなく、被災者の皆さんがいずれ立ち上がれるように、後方支援に徹した。それがいずれ早期復興への足掛かりにもつながる」と語る。

個々の現場判断と思いやりの力がなによりいいものであるのは分かる。

 

ただ、この大きさ、広さは甚大であって、間に合わなさもある程度折込済みにしても、どうなんだろう。支援の中途であれこれ口を出すのも差し出がましくもあるのが分かってるんだけど、どうにもなんだかやりきれない。

 

ただでさえ、震災多き国家なのだ。間に合わないほどのことも承知もしてても、だ。

 

なにか、どこか、この国の頻発する甚大な震災やパンデミックの時、誰も心の支えになれるだけの言質ひとつが、今一歩間に合ってない。

 

慎重にあるのは分かる、揚げ足をとる輩がいるのもわかる。

すべからく飲み込んだ上で、それでも心にわずかにでも光差し込む言葉がなぜ表明されないんだろう。

 

遅れることがあったらごめん

精一杯行くから待ってて

 

そんな間に合わない一言でもあってくれてもいいような気がするのは、私が素人で不見識だからだろうか。わずかにでもこころにキボウが要る時間なのに、誰も声が上がって聞こえない。

 

要るのは「対策を今打ってます」なる正確さよりも、瓦礫や冷たい景色の中で、心にひとつ灯せる信じたい一言なんじゃないんだろうか。

どうしてここは、いつも日本は空欄で過ごしてしまうんだろう。政治家先生はここに言葉を添えないんだろう。

 

八つ当たりかも知んない。けど、なんか、くやしい。