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ものいわず素早く、ひたすら食べ続ける[2004年02月07日(土)]

 

食事は決して社交の時などではなく、食うことは生きるための厳粛な行為であることを想わせるものがある。

(遊牧の文学・イブラヒム・アル・コーニーの世界 奴田原睦明・著より引用)

 

食う、ってたしかにそうだったな、と想うのだ。そして自分の「食う」が少なからず堕落であった、とも想うのだ。

下品であったとも想うのだ。もっと、一生懸命たべなくちゃ。

 

引用元の本はベドウィンの話である。家に住む人たちと自分達を隔てているのは「考え方」であって、砂漠という常に「忍耐」を必須とする世界に生きてる人間の、心まで筋肉質でなくては維持できない「生きる」姿は光を放っている。

 

他人をもてなすため、以外の理由では御馳走を出さないそうだ。自分の「食いたい」という願望は随分とあっさり封じ込んでいる。「供されれば食うが、なければひたすら耐えてゆく」基本的に、現代なので、私たちにはこれがまずできない。

 

「皆が同じものを着、食し、同じテントに住み、ひとりだけ 変わった突飛なことをするということがない。

彼等は自分達の生活の仕方は完結されたものとして、変えようとしない。便利さや進歩を頑として追求しない」

 

イコール、不自由などという安直なもんじゃなしに、洗練され、常に「生きる」ことを目の当たりに考え、無駄なものが持ってるだけ重くなる生き方を排除。

常に「素早い」動きを自らに課すことになり、装飾のない生きざまに対面できる。

むろん、そんな息のつまる生活環境では私のような人間はアッというまに淘汰・排除される。

 

それでも、憧れるのだ。

 

私が特に気に入ったところが次の一節でして「子供達は父親のアバーヤ(外套)に潜り込むと父親の小さな家にふたりきりになれたとして、無情の至福をたたえた表情を見せる」

 

これ以上に「愛」の形容に足るものがあるだろうか