人生の都度都度で「ここぞ!」という買い物を幾度もしてきました。
大学1年のときのZC-1000なる8ミリ最高峰カメラの購入、大阪道明寺でのガス爆発火災の無一文時に映写機の購入、などなど、そのうちに「ゼネプロでの買い物」ってのもあって、DAICONのポスターは難を逃れていまだにあるけれど、絵コンテと設定資料集は火炎に消えました。ビデオテープは消失家屋の間から、両手を火災後のガラスで血だらけにしながらサルベージし、マグカップも取っ手が破損したけれど、お部屋に鎮座しておはす。
ひとつ、当時残念だったのは、ゼネプロでスピナーのやたらかっこいいポスターをどう工面してもお小遣いで買いそびれたままってな記憶が自分の中にあり、忸怩(じくじ)たる思いが残っておるのです。
その息吹がこの記事のシド・ミード様への憧憬に似通う精神性を覚えました。
本当にね、同じ人間に思えない洗練と未来への橋渡し感が息吹としてシド氏には感じ受けます。インスピレーション、インスパイア、津波みたいに「まだ見受けてないだけのなにか」を感じ取るんです。
あのポスターに感じ取ったなにかは、心に未だ疼くんです。一過性にとどまらない、将来に続くイマジネーションの掻き立てが、全然やまないんです。それ事態が、もう、威力じゃん!