結局のところ、新旧の共産圏を経たところでは、指導層が「見ておきたい」「自分で総思い込みたい」解釈が先行できるがゆえに、民主主義より辣腕(らつわん)が振るいやすく、ここぞというときの独裁権力が民意を介在させた「ふらつき」を省けるがために「押し通す」がかなってしまう。
適うがために、真実も正確も遠ざけられ、常態の「本当」がどんどんぼんやりしだして、誰も掌握できないとこまで行き着いてしまう。
昨今では特に度を越してて、教育や史実まで捻じ曲げた挙げ句に「私達のみたいようにみるのがなにが悪い」に親しい暴言まであるから、自覚的に捻じ曲げて構わねえと思ってるようだ。
おかげで事態の正確はつかめずじまいで、結果オーライだけを標榜し出すけれど、返せば多くの人が常態を掴みあぐね、助けることも参与することも困難に至ってしまう。
「どうしようもなさ」をしでかすんだ。
民意はなにかと「コンセンサス(合意)」を求めるばかりに、さっさと決めれないし、優柔不断な軟弱も招くのは事実だ。だが、そこを含み持てる強さはあまり強調されてないだけで、遠巻きには「総意」が反映できているのでここぞというときはひるみがないし、正確さは誰もに共有が早い。
イギリスのBBCなどに顕著だけれど、何ならメディアがまったく政府の意向を与しないほどの姿勢で一貫し、政府は変遷しても、メディアは一貫してブレないなんてなほどの信用を醸すことすらありえる。この信用の高さはイギリス自身が余りある奔放で被ったバチから学んだ帝王学でもある。
残念ながら、偏った教育までは国内で適うだろうが、世界とのそれが極端にズレ、意思の疎通がまいどまいど齟齬(そご)が出るため、そうした強権下で培われた疑似教養は遠からずパージされ、再度勉強し直しをしないと世界との合わせが叶わなくなるという弱体につながる。
都合の悪いものを遮断し見えなくしとく。
できなくもないですよ?
ただ、「なくなった」わけではないので、遠からず噴出する。
普通ここまでするかって思うじゃない?
そういった辺がもう「しちゃえる」から引き返せなくなってるのが分かってない。
世界には「国の法」の上位に位置する機関や観念、宗教的存在がある国があるけれど、法治を維持できないことは、同じ終焉に行き着くのは史実に明るい話。ましてやアメリカのこの有罪候補者は恐るべき阿呆と来てる。