この根っこの良さよね。
負を力に、なるフレーズは新しいものではないが、この実践と「腑に落とす」には相応に個々人が飲み下す覚悟をもつまでは叶わないのよね。
こわくてさ、そんなことできるかっていう不測に溢れてる。
生まれ落ちちゃってきてるんだから、「味わうしかない」期間なのよ。
こうしたい、ああしたいもあるでしょうけれどね、否応のないところにさまようのも、生きて過ごすっていう醍醐味なのよね。
仏教テーラワーダのスマナサーラ師もよく生きることは苦である説くお言葉を放たれますが、文字面で『ああ、はいはい、で済ましておいた人は、ここで得ておけた含蓄を触れ損なったがために後々苦悶に狂いかねないんです。
苦の発生源を知っておき、その対処にいくらかの先見の明を仏教は得てるんですから、学んどければしのげるものがいくらかもあり、余計な心配事は的外れでもあると位置できたのに。
佐藤さんはこれに似通う精神性の言葉を、自身の体験速からエールしたに過ぎないし、かりそめにも「ブッダ」であった芝居も経由された方なのですから真に受けていいと思うのよね。