なにかしたいことがある、なんてのを青春時代や枯れた人らは「いいもんだからやってみなよ」とスナック感覚の言葉を投げるんだけれど、それって随分無責任な放言なんだよね。
したいことでしか、居場所もメンタルの維持もできないやって時には、「それ以外」は生きざまにカウントできないっていう「オール・オア・ナッシング」が、生きて過ごす幅を、他の人らよりうんと細く短いものにするんだから、希求してやまない当人でさえ実は「その環境からできるんなら逃げ出したい」具合でもある。
逃げ出せれないから苦しくっともそこに居直るなり、ふてぶてしくしてみせるし、あがきもする。
せいぜいにあがいて、今があるだけで、その今すらも、かつてはあるんだかないんだかも知れないってのが、こうした「そうでしか生きようがなかった」人らのもどかしさであり、苦悩そのものです。
それ以外、を常々口にし、あわよくば脱出を目論む息遣いがこの記事らにはあります。
これ以外にもっといい道が、なまじ見えてるだけにこのまま終わっていくのもどこか達観もしてもいる気がするんです。
そして、それでいいのにって外野はただ思って見ています。当人は人生を賭しているので、きがきではありません。心底怖いんです。ずっと、怖いんです。