確かこの手の天災などの不幸ををして「祝福する」なる表現をしたのは海外の方で、はじめて聞き及んだ際には「なにかの誤訳かな?」とにわかにはその意図が飲み下せなかったのを思い出します。
国家の先導ないし旗振りいかんで、プロパガンダ的に自国内の一体感を感情で鼓舞するやっすいやりくちを、国民サイドが信じるわけないのにってたかをくくっていた私は、思ってるほどそれらが少数派でもないのが伝え聞くようになってきて、嫌なもんだなあと思ったのと同時に、そんなふうに吐き出せるガス抜きは、それを先導した側も無傷ですまないのに、よくもまあ後先なしにそこをいじってきやがったなあと呆れもしました。
感情の鼓舞はさほど難しいものではないので、人格者や勤勉な方はその仕組に思いが馳せられますが、「そうでない」人は「ここにならすがれる」ってのも相まって、「こんなの」を土台な理論武装を開始しだしますが、一般教養といきさつを知るものには、それが有害かつ不見識の奴らなんだな、ってだけの薄っぺらい看板になってしまいがちです。
ナショナリズムなどという食えないものは近づかないほうがいいのになあ。
そこに乗っかっててもどこに行けないよ。よしなさいよ。およしなさい。