総意として、空気のようにまとうあちこちの礼節と配慮は、日本人全般が心砕けた成果そのもので、その維持には実は日本人自身もくたびれるほどに苦心惨憺もしていますが、文化然としてあるほどまでに昇華できてきたのは幸いなことです。
地域全体がごく普通にそうである、という風体でいられることは、当たり前ではありません。一歩、その文化圏から離れれば、それは得られぬ果実だったと知れます。
そこ欲しさに日本に往来される方もいらっしゃるでしょう。その裏面に密やかに潜む、言外の要請に辟易を覚える御仁もあるやもしれんです。
日本人自身すらやりすぎでは?の領域に片足を突っ込んだまま、止めるという理由も見つけられない、ってな消極的な本音でこれらは積み上がりました。
こうした空気感を維持するのは文化全体のスタミナあってのことであり、損なわれ出せばそれはあっというまに消え去るたぐいのものです。
人間って字が「人」の『あいだ』と表記されるように、ここのサブテキストみたいな、言外の催しの連続が文化です。大事にしたいし、長続きさせるためには、そこに所属するみんなの持ち寄りが命です。
些末や雑や横柄がはびこりだせば、随分簡単に荒むこれらを、大事にできる人らで構成していきたいものです。その維持の際には見えにくいところで排斥も伴っているので、鎮痛な心地にならないほどあいでしのげるといいなとは思ってます。