気骨ある文体の向こう側 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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「アメリカが最初の爆弾を東京に投下したとき、私は能の舞台を観ていた。爆弾が落とされたことには気づかず、その日の新聞の見出し『アメリカの偵察機が来て、品川に一発落とした』というのを見て知った。それからというもの、空襲は絶え間なく続いて、ああこれで死ぬんだと思ったことは一度や二度ではない。あの状況では死ぬに決まっている。一面の焼け野原になったんですから。戦争になったら、普通の人も死ぬか生きるかですからね。人々は次第に痩せ細って、どうにか生きているけど、毎晩のように爆弾を落とされる。

人の命っていうのは本当にわからない。

戦争なんていうものは滅茶苦茶ですよ。

筋道なんてありゃしない。

運みたいなもので、私などは生き残れたから、生き残っているだけ。立派な人もみんな亡くなっています。戦争は本当に不条理です

戦争については、人の、こういう地金から出た言葉だけで表出されているのなら、いくらでも耳から目から情報を入れたくなれるものです。

得てして根性論、精神論、著しく偏った観念、刷り込みなどがまん延してるケースも多い上、どれも「自分はそう思ってる」としたものだから、あながち否定できるものでもない。

 

されど軒の記事のような冷徹に近いみたいな本当が芽吹く感じにならないのは、鋭利さが伴ってる文体に接してみてはじめて、「ああ、よそのは甘かったのだ」となるだけの、結果論かも知れません。

「戦時中は、一ヵ月で価値観ががらりと変わってしまう。そんな時代を生きたら、物に対しては一種のあきらめるような心が芽生えますね。やはり人というのは命というものがなければどうしようもないのだから、どんなことがあっても命は大切にして生きていかなければというような、そんな気がいたしますね」

簡潔にして強健な文体です。

 

「アメリカの軍用機が来て、すぐに防空壕に逃げ込んだけど、家が焼けると防空壕も熱くなってくる。敵機が去ってから、あちこちに転がっていた焼夷弾を座布団で消した。落ちてすぐなら消えるんですよ。ちょっとでも、火が燃え移ったらもうだめ。

そしたら、一つの焼夷弾が防空壕に転がりこんでしまって、なかのものが半分焼けてしまった。妹が茶箱にぎっしり着物を詰めて、それを防空壕に入れてあったのね。でも、軸物と巻物は少し助かった。桐箱に入れてあった分。桐が非常に火に強いことを目の当たりにした。昔から、大切な経典や掛け物は桐箱、着物は桐箪笥に入れますよね。木のなかで一番強い。離れは全焼してしまったけど、母屋は残ったから本当に助かったの」

🐼もガス爆発の憂き目にあってるので理解できます。密接密集したしまい物は空気が循環せずに火災でも燃えきらず、返せば半焼みたいに外側だけが焼け焦げるなんてのを目の当たりにしてますものですから、この記載にある注釈のような本当さは、現代人に最も欠けてる経験値から来る知恵に溢れて読めました、消防団も後に経験してもいるので、火災の火炎の広がる傾向と気配は肌感覚でわかっても来ます。とかく火というのは大きくさせるまでにやっつけるのが前提と思えてるかどうかが肝心な存在です。

 

気骨のある文体というのは生きざまの反映ですし、文体そのものに贅肉がないだけ堅牢な分、固くて痛いほどになる。体感し、肌感覚のあるものだけが人に正鵠を射た伝播を為すものになっちゃうんです。それは指向とかではなく、根っこの姿勢がそこ以外をあまり柔軟に許してくれなくなるってのも伴ってる気もします。