「やっと休めるようになった」
この域に達するまでが、本当に遠くって、自分では小理屈上では「わかってます!」って叫びだしたくなるほどのことなのに、実際のところ、この心境にたどり着かないことったらもどかしいのです。
これがね、「治りかけ」に早く自身をもっていきたいがために、ここ以降の時間にも幾度もうろたえだすんです。
もう治った・少し良くなった・などと銘打ちだしては平然を装いだし、溜まってないガッツをすぐさま使い果たし、バタンキュー・・・その繰り返しになります。
自分では「やりすぎじゃね?」ってくらいの停滞・現実からの離れっぷりを延々続けられるだけの堂々さが伴ってこないと、これがやり仰せないのです。とにかく自分の中で早めに「なかったこと」にしたがります。
その心象のうちは、なんせ治っとらんのです。全然の内なんです。
自分を認めるってのの、なんと難しく・わかんないことか。
本当にわっかんないですから。