(これはウン十年以上前のエッセイです)
世の中「やめる」ことについて、どーも拒否的な反応が多いと思う。
先だって図書館で会った同級生はやはり仕事を変えたいのだが、「逃げるみたいで・・・」とこぼした。
やめる、ことはそんなにひどいことだろうか?弱虫の所業なのだろうか?
わたしはてんでオカシイとおもっている。
逃げないでいる人の多くは「逃げる勇気もない」のではないだろうか?
ま、おおむね仕事関係なんだけどね、「長くやってきたから」とか「同じ部署の人に迷惑かかるから」などと、いろんな「辞めない理由」あるんだろうけど、本人の性格がこわれかかるまで頑張る理由なんてどこにもないね!と私は思う。
「逃げなくちゃ」ならない理由があるんだからそれは本気で切羽つまったものなんだから、もっともっと尊重されるべきものでしょ?
自分が壊れるまで頑張るなんて、それこそ迷惑だ。
私は好き勝手にやってるように見えるようなので、どーも逃げ出したい人たちが相談しに来ることがある。こーゆー人に相談しにくるので、逃げ出したい相談である。おおむね「どうしたら・・・」と聞いてくるので、迷わず「やめたら?」と答え、辞めることのスバラシサをミズミズしいタッチで、サンゼンとひかり輝く印象に描いてみせる。
だいたいの人がうれしがって、近日中に仕事を辞めたりする。
すると、辞めた本人では無く、その周りの人たちに、「君は彼(彼女)に何を話したんだ?」と遠巻きにきかれるハメになる。たいてい、正直に「彼(彼女)が聞きたかっただろうことを、話しました」と答える。
本当に辛い人は、自分の苦境について、静観できる立場に無い。
だから自分のツラさを語る単語すら思い付かない「グッタリ」加減なのだ。
「いいよ。君は頑張ってる。かまいません、辞めちまいなさい。」ともっと大人が言ってくれなくちゃ、子供だって壊れる一方です。
もっと多くの人がとっとと辞めることを知っていれば、ストレスはグッと減ると思う。人のやることだから「辞められない」ことなんて、無いと思う。
ヤメナイ、ってことはその人のキチンとした理由があるのであって、続けることを「選んだ」のだから、それはその分まかなう自信があるのだろう。
でも、もし、君が自信をなくしているのに何かを続けていたり、すっかりダメだと分かっていることがあるなら、私はあなたに「辞めちまいなさい」と言ってあげたい。
「辞めちまいなさい」。
その次に待ってるエピソードはきっと今の苦しさより、断然いいものになるはずだ。
苦しんだまま、のあなたなんて、今後の自分の為にもならないでしょう。
今のアナタは、今後のアナタに長く続くのです。快活な自分を信じるんです。
アナタの決意はその時の「ベスト」には間違いないんです。
決意、は後々に関わってくるものだから、ダイナミックなものだ。大きいものだ。
その上で私はあなたに言いたい。本当につらいなら、やめちまいなさい。
