大人になってみると、何かになっちゃっただけの人なだけで、特段子供より冴えてるわけでも優位でもなさがあるだけの、年齢がいっただけの自分、ってものに出くわす期間なのだとわかる。
特段のメリットはなく、いくらか昔よりは束縛を失ったり自由度はあってもふんだんにふるまうだけのリソースもコンディションも与えられず、ひたすら忍の一字みたいな毎日に、心が折れようにも緩さが先立ち、緩慢に日々をやり過ごせるを是とする、なる表現が見渡す限りでは一番多めの感慨だ。
苦しさって、ガツンとした塊の嫌さではなくって、曖昧模糊としてて・正体のない・漠とした不安なる、古典の文豪が捕り憑かれたやつに、心がずいぶんあっさり負けちゃう。
思い起こせば、文豪らはそれで自死に至ってる。それほどまでの強烈さは、膨大な曖昧に駆逐されたことになる。複数人の文豪は、ピークを落とすのをを心良しとしなかったってだけの話なんだろうか?
強くて硬いものより、漠とした自分の内面に正対できるソフト面の強さは、どこで培えばいいんでしょうね。
このラインで立往生してる大人の数なら、日々見かけますけれどね。
大人サイドの立ち往生は、子供以上に深刻で執拗なはずなのに、あまりに周囲一帯が深刻で一斉なために、ありふれすぎてて互いにその慰めも解消もあまり真剣になされてない景色です。
心の養生が一番肝心なのに。