生きていたい
そう感じるのは心なんだと思う。
母親の文美さん(現在46歳)は、「たくさん泣いたし、つらい想いもしたけど、決して悲しい思い出じゃないんです」
私はこうした感慨の真意に近づけたのはけっこう年かさを増してからでした。
若いうちは表っつらで合わせて同情を示してた気がします。
真の意味では理解に近づけてるかどうかも怪しくなりますが、それでも悲しさ以外のなにかを掴めてる本当さは、ほんの片鱗かも知れないけれど、ほんの僅かかも知れないけれど、判る気がします。
まずもって、強がりとか体裁を一切加味しないコトが肝心な気がします。
人に説明するたぐいの事柄でもないような気もします。
人が「自分以外のいのちから感じ取れたもの」をよすがに、自分だけが感じ受けていればその生涯を完遂しきっても、まだ余りあるほどの覇気のようなものが、人生にたゆたい続ける本当さは、幾度かいのちのやりとりや、途絶を体験を経ないと、うまく触りに行けなさがあるのも感じています。
それは本当にあるなにかであって、感じた人は生涯それを手放さない。
なんなら、自分が生きてること以上に、そこに価値を覚えるもの。
「医師からは“今夜あたりが山場かも”と言われました。でも、病院スタッフの勧めで結衣を抱っこすると、みるみるうちに顔色はピンクに変わって、目はぱっちり開いて。
周りには病院スタッフが何人もいたんですが、その様子に感動してくださいました。」
この作用の本当さ。
いのちがいのちに触れにいけている。
そこに喜べて、うれしがれて、安心を覚えたと判る。
理屈じゃないと思う。
「結衣の体力が限界に近づき、いよいよ厳しい状況となりました。
それまで私が結衣を抱っこしていたんですが、一緒に面会していた夫と実母にも交代で抱っこしてもらいました。
そして、もう一度私が抱っこすると、結衣は私の目を見て微笑んだんです。しかも2回も。
そしてその直後、心拍数が徐々に低下して…。心拍を示すモニターには“0”の表示が浮かび、家族が見守る中、結衣は眠るように天国へと旅立ちました」
嬉しかったんだと思う。
よかった、ここにいられてって笑っちゃったんだと思う。
ここはよかったって、短かったけど、そんな単語も覚えなかったけれど、いのちは判ると思う。
自分以外のいのちが渡したものを、自分といういのちが受け止められる機会になれた。
いのちだけがなにかを渡すことを知ってる人は、素敵で無敵だと思う。
もう怖いものがなくなっちゃてることにだけ、今ひとつ慎重になってくださると嬉しいです。

