癌を治さない、なるフレーズの記事に附則して残したい | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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お医者さんにかかってる時に、原因不明とか、よくわからんですねえ、といった、正直過ぎる声をみなさんも耳にしたことがないでしょうか?

 

昔の先生なら、それっぽい病名あてがうくらいの患者が安心する方の物言いを添えましたが、よくよくおもうに「よくわからんけど、調子が悪いと当人は言っているが、診る限りのうちでは該当する病巣も、病名相当なものも見つけ得なかった」という先生の正直が、露見して咎められにくい時代になったんだろうとも思うのです。

 

癌。

 

私にとっての思い出せるの記憶は父の肺がんです。

 

その際に先生に治療方針なり説明を聞きましたが、医療というのは存外何もかも網羅してるものではなく、「今わかっているもののうちでは」という前置きで治療にかかっていくというプロセスがインフォームドコンセントの普及から明確にわかるようになってました。

 

そのながれをざっと記載すれば以下のような箇条書きになります。

  • 今・現在打てる手立てはこれこれの数だけあります。
  • そのうち罹患者に相当しうる治療はこれとこれです。
  • それらが効かなくなった際には、この手だてたちがあります。
  • 寿命はこのくらいです(相対生存率)
    (ここで突然人生の終焉期限の目安を人生で始めえ与えられる)
  • 上述のすべてが間に合わなくなったら、緩和病棟などのホスピスで過ごす事もできます。
  • その際には対処療法で都度都度の痛みや疾患で抑えられるものは抑え込みます。
  • 最後の段になる前までに、延命の処置はどのくらいの、どの線まで望むのかは当人の意思を尊重します。QOLを最後まで諦めないで済むように、決めておいてください。

ざっとこうでした。

このうちにも一進一退がいくつもあり、病巣が転移や多臓器へ悪さを仕掛けることから、別途の処置や放射線治療、手術なども施されます。ガン本体だけが厄介なのではなく、体内を駆け巡る血液に混じって、がん細胞は脳内などにも巡り渡っていく過程でもあるんです。

 

難しいのは、臨床試験を経て、高額ですが病巣の進捗を抑え込みはできる、発展途上の治癒薬もありますけど・・・という誘惑でした。

 

もしくは他の病院ではここでは叶わない治療が可能である、と外野の人らの(その多くは空虚な)助言です。

迷信でも思い込みでも頼りたくなるほど心がよれてるときには、まるで悪魔のささやきみたいな甘さをそこに感じたくなって仕方なくなるものです。

 

さて、引用記事をなぞらえていきます。

 日本人の最大の死因となる病気・がん。この病気を未然に防ぐため、検診や生活習慣の見直しに余念がないという人も少なくない。  

ただ、長年高齢者医療に携わってきた医師・和田秀樹氏は、「60代以降は、がんは“治さない”という選択肢も視野に入れるべき」と指摘する。

 

「がんが見つかったら治療するのが当たり前でしょ?」と思われたかもしれませんが、60代以降は、がんなどの病気が見つかったら即治療することが、必ずしも良いとは限りません。  

 

これはがんに限った話ではありませんが、大きな病気の治療は、60代以上にとって体にかかる負担が大きいからです。

今となっては、なんですけど、治療の必須さの云々は、罹患者が身近にいる際には冷静な判断はまず無理です。目先の不安から、多めに心肺を見繕うので、過剰な安心を選びがちでした。

自分自身が冷静な気持ちでいようと思いこませても、こころにスピンが掛かり、バイアスのある状態に間違いないのです。

 

先生サイドが、「こういう選択肢もあり」と思えるほどには、癌罹患者を見通してきて至った感慨なので、拝聴に値します。ただし、罹患者のいないうちの検討をおすすめします。

 

罹患後に知るのは「からだへの負担」いかんで、叶う治療と、治療方法はあるけれど、あなたには能(あた)わせない、と面と向かって言われるケースです。

 

体力的に堪えうる限度、

精神面で堪えられる限度

 

その見極めで行き先が変わります。治療の方針事態が変わりますので、当然といえば当然です。

若い人であれば、回復力が早いので、入院や手術をしても、すぐに元の健康な体に戻り、以前の日常生活を再開させることができるでしょう。  

 

しかし、60代以降は、一度病気になると、回復に時間がかかります。  

 

外科的な手術を受ける場合、手術で体を開き、臓器を切るので、体に与える負担は大きいものです。  

 

まして、日本ではがんだけでなく周りの臓器も大きく取ることが多いのでなおのことです。

日本の医療のいいとこなんですけどね、病巣自体よりも病巣由来の機能不全から、近隣臓器や連携する臓器を切除しといたほうが生存率が高まる判断はけっこうあります。

 

ここでオストメイトお腹に排泄のための『ストーマ(人工肛門・ 人工膀胱)』を造設した人)に至るケースも多々あると思います。日本では、なので外国ではどうだかかはあまり知らんのです。

 

ここで付記しときますと、若い人は治りも早いですが、癌も細胞の一種なので、進捗も年配者より早く増殖します。細胞自体の生きの良さが仇になるんです。

ですので若いうちの癌は、早期の発見でいくらか永らえます。かえってご年配者の悠長な細胞状況が、生きながらえにつながるのも、なんとも皮肉な話です。

 

大事なことなのでぜひ忘れないでいただきたいのですが、がんは高齢者になれば必ず発生する病気です。  

 

私が高齢者専門病院に勤めていた際、毎年、亡くなった高齢者の方の解剖結果を年に100くらいみてきました。  

 

そこで驚いたのが、85歳を過ぎると人間誰しも体のどこかにがんがあるということです。  がんは細胞の老化によって起こるとも言える病気なので、年を取れば、体のどこかが必ずがん化しています。  

 

60代を過ぎてがんが見つかるのは、人間の体のしくみを考えれば、ごくごく自然なことなのです。

理屈です。

この見地に当事者になるのも随分難しいですが、このとおりです。

からだの節々に、生存をためらいだす部位が生まれだす・・・といいますか、人類が生来の寿命以上に生きれるようになって、もともとの平均寿命たる「人生50年(by 信長)」を越えて以降は、本来の部位自体の構造的な寿命は、ドーピングのような工夫でだましだまし使い込むわけです。

 

関節なんかが節々痛むっていいますけど、ホネも軟骨もそもそもとっくに寿命上限を越えて使ってるのですから、壊れないだけ素敵、くらいのスタンスこそが正常な見え方なのでしょう。

 

私の父も末期の際に、先生に検診時に「内臓が動いてないね」と厳然と言われたのを覚えてます。

戦慄しますよ?

今目の前で生きてて、まだ生きてる人の前でも、その正直を貫くほかないのです。

家族からは切り出しにくいことですが、先生がそれをかって出てくれてるんです。

そこの位置から、現在の生存基幹の過ごし方を勘案し直し、正視するんです。

この冷静があってこそ、対峙する思慮がかすかにでも確保できるのです。

 

死なない、は難しいにしても、生きて行き方は選べます。

いくらかでも慰められるし、こころ配りできる時間の猶予は、それがない症例に比すれば断然上々に思えてきます。

 

癌で亡くなる、というか、これは寿命の話なのだと得心していくのも、癌を患い、闘病を経た人を間近で見てきた側が得るべきで、伝えるべきな智慧なんだと思いました。

ですので、私にできるみたてのうちで知ってるものを記載しました。

参考までに。