●人間は一旦何かを信じると、<信じる自分は裏切れない>のですね [2011年05月15日(日)] | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

「だから教祖が「間違いだ」と指弾されてもけっして認めない。

もしそれを認めてしまうと、信じた自分を裏切る事になりますから。」

<問い>の問答  南直哉、玄侑宗久:対談より抜粋。

 

久々に熱中して読める本。ハラハラしながら読めます。

なにかに安穏と座り込みたがる自分の弱さ、っていうと響きがカッコイーけれど、「不安定でケッコー」的発言連発の本で自分が楽したがってたんだなあと思う事しきり。

 

「自分」がそう思ったんだから、そう思えたんだから「正しい」って人は思いたいもんだ。「自分」がそう思えただけ、でしかよりどころがない生き方をしてると、「自分のわかってない」ことにも「自分が拒否してる事」にもホンローされちゃっても、なす術がない。そこまでの無様さを容認してるような大器の者であるのなら、いいんだけどねえ。

そんな人は若かろうと頑固爺ぃなんだ。

 

「思い込む」ことも「言い切り」も、どこか気持ちのいいものだけれど、「そこを基点にあれこれ進める」と、方向も、大きさも、そこに左右される。

 

「言い切らない」または「言い切れない」うーん、そうですなあ「考えきらない」「考えきれない」と言い換えてもいいけれど、本当は自分でも得心のいってないことを、あえて「あいまい」にさせることでしか「りんかく」ででしか捉えきれないものを、とらえようとする人は、スタミナのある人だ。

 

言葉で言い切れても、思考で収まりきれても、「自分には分かる」手合いのものでしかなく、そんなんじゃ、「新しいもの」にはならない。

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