他人を殺めるということ 卑怯者 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
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写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは10年以上前のエッセイです)

 

「いらいらしたから」「誰でもいいから殺したかった」
物騒な上、人としての厚みに欠けた感情量。こんな事件が複数起こっていますね。

自分が不快であったり、スッキリしないってまでは「そういうこともある」っていえますがそのはけ口に「他人の人生を終わらせる」とか「他人にぶつけて傷つける」というのは全く気に入らない。

自分に対して、防御もせず、傷つけもしてこない相手に対して、圧倒的に勝てる見込みの相手にだけ「自分の不快感」を理由に切り込んでゆく、卑劣きわまりない態度。
殺傷行為そのものも下劣だけれど、それより先に「自分のイライラ」という問題を、自分の外にはけ口を「誰でもいい」と発露させたことが許せない。それを自分にしていい、と許した態度が気に入らない。よくも許しやがったなと。

「誰でもいい」から傷つけるってことは、もうその本人自身が他人さんから「誰でもいい」の一員にさせたようなもの。みすみす。そういうのってもう、人じゃない。

他人を尊重しない人は、尊重されもしない。大事にしない人は、大事にされない。小理屈でエラソーなことをいいたいんじゃなくって、まずなにより先に自分が他人に対して使ってない感情を求めてるっていう、しみったれた感じが嫌なのだ。
大切にしなくちゃ、大切にされない。大切にされて感じた自分の方の気持ちがあってこそ。まず先に大切にするってことを自分サイドからギフトするっていう根幹部分がない大人が
世の中にうろうろする。

不快感、とかいらいらは、好もうと好まざるものだろうと、その人本人だけが自分に生ませられる感情。強要はされない。自分で許した分だけが、発生する。フランクルの「態度価値」じゃないけれど、世の中には猛烈にひどいことが、幾度も起こる。それは避けられない。
それに「どういう態度でのぞむか」は決められる。そこに人の価値がある。
度量がある。厚みがある。深みがある。

それを「抵抗できなそうな他人の人生を害する」と結論し、決行する馬鹿さ、浅はかさ、軽視の仕方が最悪だ。他人の人生に踏み込む権利もない輩が、まず先に、もっとも先に「自分を軽視してる」無自覚さがとても気に入らない。分別がない。それは人じゃない。そこまで見損なうな。やめとけ。やめろ。

どうでもよくなっちゃって、もう刑務所に行きたい、とか死にたいって思う人もいるでしょう。
それくらいつらいって、表現するのには他に言葉がないんでしょう。そこまではそうかもしれない。
それでも、「だから人を殺める(あやめる)」のは、てんで別の文脈だ。すり替えてる。
自分の感情を他人の人生であがなうな。下衆なところに自分を向かわせるな。

もっと大切にできるのに。
自棄になることもあるだろうけど、他人を使って発散するってのは、少しも飲み下せない。
大切にすれば、大切にされるのに。大事にすれば、大事にされるのに。
自分の人生も直視しないでおいて、他人の人生を食いつぶしにかかっていくのは卑怯だ。