「アニメ・時をかける少女」の仲里依紗のお芝居に観たもの 人のあり方 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(これは10年以上前のエッセイです)
 

「テルマエ・ロマエ」を映画館に見に行ったら、「おおかみこどもの雨と雪」の予告がかかってて、うれしかったなあ。ああ、夏が来たなあって感じで。もう見に行くこと決めちゃってるんですけどね!行きますからね!何度もいっちゃうんですから。

帰宅してから、なぜか昔の作品たちを見返す気分になって、「電脳コイル」のひげの巻や「プラネテス」の2話目などをみて、んむむ、と思い立ち、「時をかける少女」を見直した。

むむ、むむぅ、面白い。やっぱり面白い。
で、真琴の芝居がやっぱり秀逸。すごくいい。すごくいいや。
仲里依紗さんはこの作品で「突破」した感じがしてたし、このあとに「ちーちゃん~」とか「実写版」のときかけだったり、「ハラがコレなんで」とか、じゃんじゃか映画出てたけれど、最初の「時をかける少女」はやっぱりダントツだなあとしみる。
しみるなあ。

仲さんのお芝居の魅力がなにかしらと思いを馳せる午後。
時をかける少女以後に続く作品での仲さんの位置づけは、常にどこか「美少女」であるというのが作品の底辺に流れた。

ん?
んん?

美少女だったけか?

いや、もちろん綺麗よ。美女か、っていうと、んん、美女とはちょっと魅力が違う。

「時をかける少女」を見てて、ハタと思いついた。
仲里依紗さんの声は、時々「男」なのだ。
んん、ちょっと違うな。

現実に女の子が、男の子の前で「オンナノコ」を「しよう」とする時があるじゃない。
「オトコノコ」がいなかったら、きっと女の子はもっと別の態度をとるだろうなって思える時があるじゃない。

オトコでもオンナでもなく、人間、ヒューマン、アニマルとしての「自然体」ってものもあると思うんよ。それを出せる人って、「かけひき」が最初に廃止されてて、遠慮とか建前がいらない仲を目指せるでしょう?

「時をかける少女」の中の「真琴」は、男でも女でもないところに立ってるのが気持ちよかった。
ドス声も発するし、生き物として力がみなぎってる。それを仲里依紗さんは声だけで印象させていた。臆した感じがしないのだ。ずんずんと「男に見られてない時のオンナ」の正直さがキランと光を放っていた。

そういう正直さ、っていうのは、このごろの作品の中では少なかったと思うのだ。

映画を見てて「男」が出れば、主人公だったり、脇役だったりと「役回り」が仕込まれてる。
「女」が出ればヒロインだったり、恋人、家族だったりと、やっぱり「役」に入っていく。
映画なんだから、どんな役も「無駄な出演」ではあり得ないんだけれど、その「あらかじめカッチリその作品に居場所・居心地が約束されてる感」が予定調和すぎて、嫌みなのだ。

そこに出てる「男」にも「女」にも役割が期待されてて、映画という作品の中でそれを逸脱しない。ゆえに「男らしい」し、「女らしい」。
が、「時をかける少女」の真琴は「女同士」にもみせる素を、男にも見せてる感がある。
家族になった女性が、どんどん家族に馴染んでいってから「はじめて見せる」素が、とっても魅力的にもなるときがある。

見栄え、っていうのか、見せ映え、っていうのか、「演じておく」余地のいる生き方を他者同士の私たちは、世間でみせあっている。口にしないまでも、「自分の役割」をスイ、と入っていってる。

さて、仲さんです。
仲里依紗さんの「真琴」は「見せ方」をとっくに「あきらめてくれてる」感があって、大変肩の力が抜けておるのです。

アニメとしてすごい!っていうのより、映画として表現が飛び抜けてイイ、とかでもなく、うすぼんやりと「真琴」にだけ惚れられる作品なのだ。
仲里依紗さんの「凄み」は、そのころまだメジャーとは位置してないときに、「この作品で誤解を受けて、オンナっぽくイカナイかも」という不安がこれっぱかしもない。
そのすがすがしさだ。そのアキラメのような突破感が、「信用できる!」って思えたのだ。

大人に向かって「異性」とかいうモンで悶々としなくちゃならなくなった、「アニマル」としての「人間」が、まだこの作品には残っていて、それを仲里依紗さんの芝居が際立たせてる。

Aセクシャルでもユニセックスを賛美したいんでもないんです。「人間として威力がある」っていう「あり方」に惚れられるんです。

だから仲里依紗さんが「美少女」然とさせられた映画には戸惑ってきたのです。
かといって「ハラがコレなんで」ほど突破されても、弱っちゃうのです。
ドスコイ!ってされちゃうと、ああ、ちょっと、ちょっと待ってよ、それはよしてよって勝手に思う訳です。(勝手にね)

「時をかける少女」の仲里依紗さんの絶妙な「立ち方」「あり方」は本当に救いになった。
んー、こんだけ書いたのに、なんか抜けてるな。
んーでもいいや、ま、そう思ったのよ。思ったの。

クライマックス前に真琴とコースケのやり取りがある。

コースケ「真琴ー」
真琴「?」
コースケ「前見て走れー」
真琴「・・・・おう!」

これが好きでね。
すっごく。