その一枚までのいきさつを拝察する | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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素敵な写真を見かけるとき、まるで偶然そこにいたんですみたいな佇(たたず)まいで、ポンとあるんですけれど、私は「その一枚にシャッターが切れたまで」の待ってた時間の方に思いがいくことがあります。

 

写真は偶然というよりも、カメラマンがそこにいて、カメラがあって、画角やカメラ位置を決めた厳然とした事実があるから撮れるのですから、どうしてそこにいたのかな?どれくらいの長さ、そのシャッターを切るまで待ち望んだのかな?どう凝ろうと目の前の存在に対峙したのかしら?などと思惑いっぱいな想像を膨らませるのでした。

 

いやいや、実際スナップ観なくの撮影でもなんらかまわんのです。フィルム時代と違い、充電のできるデバイスがストレージの許す限りをストックさせる撮影ができる時代に生まれ落ちた幸いです。ジャカスカ撮ればいいんです。楽しいもん。

 

ただ闇雲に撮られた写真と、魂の刻まれたかのような威力溢れる写真とではありようが全然違うのは周知のことでしょう。ふつーに撮れる時代だからこそ、かえって凄みがそこに込められるっていうカメラマンの力量なり、鼻の利かせ方なりの尋常でなさは際立つというものです。

 

手法も理念も違う訳です。人間にこもったものが「事前に準備」の蓄積から、同じものを目の前にしても「違う結果にたどり着かせられる」引き出しの多さ、卓越したエッセンスの抽出力が際立ちます。

 

写真なんだから撮れるでしょう?っていう次元でなく、あるジャンル、ある被写体への飽くなき追求が宿ることで、異常に近しい戦慄の伴うような肉迫、血の通いが写真には宿せるんです。

絵も同じだし、音楽でもそれは言えますよね?

そのジャンルのエキスパートはスナック感覚みたいに見えても変態に近いほどの執着で被写体をしゃぶりつくし、昇華し、他者の追随を許さなくする高みに至ります。そこだって「課程」でみやれば、尋常ならざる工夫の連続が層を成してる訳です。一朝一夕のはずがないんです。ゆえに美しい。ゆえに真似が叶わない。