日々の摩擦に見えるもの | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

 

 

 

 

やりたいことはやりきるが、やりたくないことはしない、認めもしないけりゃ、なんとなれば牙をむいてみせる・・・をまかり通させる工夫を、「時代にそぐう」形に遷移してるといえばそう見えなくもない。日本人は「堪え過ぎてて」結局制度の方を変えるというガッツはへし折られてるせいでか、変容に勇気が持てない。こうした瑣末めいた完遂たちが日々のせいぜいである時に、まぁ「大人世代たち」は「馬鹿なことを・・・」くらいに言ってのけて済ましちゃいがちだけれど、たぶんそうじゃない。

 

 

 

 

 

世界的にも「どっかの誰かのやりたい放題」なんてものに、命や生命の危機が賭されてるほどの捨て鉢っぷりが頻発してることを思うと、日本の諸処のいたずらとか間に合わなさはうんと控えめにも見える。けれど人間の本質には「訳の判んないこともしでかしたさ」がその割ってるんだと思う。エスカレーションで「とんでもない規模のそれ」も起こるんだろう。そしてそれは悲しいかなデフォルトなんだろう。「起させて、鎮圧する」の繰り返しなんだろうな。この頻度、この範囲の広さを思うとね。