「なりたがる人」よりも「選ばれる人」 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

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本当にこの通りで、横並びに1万人が「自分と同じ期待を抱いてる」ときに、頭ひとつ飛び抜けてるだけで選びやすくなれる場として、そこを観る事ができますか?って話。

 

難しくないし、簡単な話なんで、ここを「難しいよねえ」「いつかしたいよねえ」くらいに会話中で凌ぐようなら、もうこの「横一列」には位置してないと、自分で言っただけのこと。

 

分かるよね?「人と一緒」なら「あんたに頼まなくても」な装備でそこに突っ立ってるんだから。有事に、ここぞってところで、「他者より業界内で作品共々が生存率の上がる」を選ぶんだから、「普通」じゃ足りないし、「少し得意」って人も不要なんです。突出してても「俺こそが!」のアピールでは作品を壊すだけだし、緒方さんがいうように「そこは『社会』なので」に込められてる隠喩(いんゆ)が塩梅できないようでもそこにはいてもらっちゃ足手まといだ。

 

その上で飛び抜けて、ずば抜けてればいいのよねって話です。難しくも凄くもないです。「そこにいるべきだった」人が、ちょこんとそこに座ってるっていうのを「座りがいい」というのですから。

 

すごかったら、そこにいたらいい。 

凄くなかったら、不相応で居心地悪いまんまなんだから、どのみちそこに座ってらんない心持ちになる場所、そこがプロのいるとこなんだよ。その仕事してる間、終世そうで居続けるっていう神経の人らなんだ。