高校1年生のとき、アニメーションがやりたくて美術部に入ってみたら、美術のやりたい先輩たちが当然いて、クロッキーなりデッサンなりの段取りを用意されて、早々に私は美術室に行かなくなりました。
そしてその1年間は、教室で一人A4サイズのコピー用紙を1/4に切り、パンチ穴を空け、黙々と動画を描いていました。放課後など夏などは教室の外から友人たちの楽しげな声がキャッキャと聞こえてくる中、私は黙々とアニメーションの準備をし、8mmフィルムでコマ撮りをしたものを文化祭で上映にこぎ着けました。
2年目。先輩たちとは断絶してた私はアニメーション作りに部を半ば乗っ取ったような形で、アマチュアフィルムの上映をして「ここでまでやってた人らがいる」と銘打って、部費を10倍にし、そこから実写、アニメに邁進することになりました。
この後芸大に行き映画を撮り、曲がりなりにも劇場公開などを経験させてもらえて、まんがも描けて、放送カメラマンだったりビデオ編集、写真カメラマンと、連綿とそうした俎上(そじょう)の生き方をしてこられました。
浮き沈みはありましたけれど、私はよく思うのです。
沈んでるとき、黙々としてるしかないとき、その時を「見栄え良くしよう」等と思わず、上手くいってない時はなるべく隠さずに、うまくいってないでいよう、と。
上述の「高校1年生の、協力者もままならぬうち」に、黙々と好きなことだけしてた自分があってくれてこそ、私は後年の楽しさを人一倍味わえた気がしてるのです。
うまくいってない、のうちが「いつそこから脱せるか」もしれないまま、続けてることを、案外見てくれてる人が存外多いものです。うまくいってからでも、そうした面がアイツにはあったな、っていきさつが知れてることも、あとになって思えば幸運をつかむまでのロードマップのようにも思えます。
禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし。
今の駄目が全ての駄目じゃない。
こうした「幸先の見えないうちからの、黙々さが、光を見ないことはない」と知ってる私は、現状の「上手くいってなさ加減」まで見といてもらうことも、そんなに嫌じゃなくなってるんです。あの、高校と1年のときの、ぽつんと一人教室で絵を描いてた自分が、少しも無駄でもなく、無為でもなかったって、今なら言ってあげられる。禍福は交互にくるものだから、永らくの停滞期は、永らくの繁栄期に繋がると思ってるんです。苦しんでる間に出会えてる人らを私は忘れません。楽しんでる時にしか近くにいなかった人らってものも忘れません。人って、そういうもんなんですよ。うまくできてますって。まあ、みてて。
