「どこ発進」の優しさですか | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

 

一見「優しい声がけ」をする人が目の前にいたとしましょう。困ってる人に声をかけ、大丈夫、大丈夫と励ましてるように見えます。言葉遣いも丁寧です。こころ配ってるようにも見えます。いい人にも見えます。

 

優しさには大くくりに2種類あります。

「強さから出せる優しさ」と「弱さから繰り出す優しさ」です。

 

二つとも、冒頭の所作で示されますから、一見どっちがどっちなんて判別がつかないかもしれません。

 

前者は優しくしようという心根から出た、他者への労(いたわ)り発進であり、自分自身が強くあろうとした人が、自分以外の人にまで気持ちを使うことができて、困ってることの解消や助力を惜しみなくさしだすことです。長期的な平穏を望み、その為の布石を敷きます。

 

後者のそれは「他人にとがめられないで済ます為のカムフラージュ」で自分の保身の為に、声がけも「その場の活躍然とした証拠」程度のアリバイづくりで発しています。よく見ると困ってる人を前にしても「大丈夫でない状態の時」ですら、困ってる相手にも同意を求めるかのごとく「大丈夫、大丈夫」といってるのが分かってきて、それはただの呪文であり、意思のものではない言葉だと知れてきます。ねじ込んでるだけです。

短期的な「凌(しの)ぎ」に汲々(きゅうきゅう)としているだけであり、難なくその場を自分が脱してられてれば、結果の如何(いかん)は正直他者に委(ゆだ)ねて知らんぷりです。

 

私たちは同じ人同士なので、頭が良かろうが悪かろうが、上の2項目を「勘ひとつ」で見抜けます。前者は尽きぬ恩恵を授けてくれる人であり、後者は臆病で卑怯者です。

 

こうした「差異」すら、病的に理解できない人が世の中には大勢います。形だけ整ってれば、結果なんざどうでも、って人です。残念なことに、そうした手抜きは小さくとも積もる上、解消も消滅もない為に、将来的には「清算」の時がきます。概ね後者は排斥されてお終いです。当然です。ただ、「病的にそうである」人もまま多く、「なんでこんな目に遭うのか知れない」と本気で思いがちです。ですが、世間の方は「当然の報い」としか思いませんから、双方に不幸です。早めのパージくらいしか、被害を小さく収める手段はありません。残念なことです。