わからない、ことしか、わからない 地震・津波 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

(10年以上前のからのエッセイ転用です)

 

関東一円で大きな地震が起きた。たくさんの人が溺死したり、行方不明になってる。
生きてる人も家ごとなくなってたり、救済物資が届かなくて二次被害に遭ってる。
そこにくわえて福島原発の原子炉破損。部分停電による東京・静岡地域までの分断された送電体制で、企業は仕事ができなくなった。外国人は国外に退去される人も出てる。首都ではガソリンが売っていない状況にまで至る。

今は生き抜くことに懸命になってる。
生きる、ことは難しかったんだとはっきり分かる。

地震と津波のひどさが分かる。
自然災害のスケールの前では「準備しておく」というものは、「とにかく準備し続ける」以外に答えがなくて、どこまでも備え続けるしかない。そのうえ、どこまでも、間に合わない。

自宅にいて、3月11日昼間にゆらーん、ゆらーんと1分以上大きく揺れて、ああ、これは遠くで大きな地震が起きていると予感して、テレビをつけた。
NHKが「津波が来ます。海岸線に近づかないように」と呼びかけてる風景が映ってた。
そこは海岸線の映る町だった。
海岸線の岸壁の水位が、すううっと、じわーっと、登り,とろーり、とろーりと道の上まで
海水をあげてきた。
それはとてもゆっくりにみえた。

その水が、町の道の方に入って行った。
水だから,流れて行った。
それは「津波」という怖いものではなく、海水がちょっとあがりましたよ、っていう顔つきのもの。
その後ろから続いてくる水かさを増した海水が、ぐんぐん町の中に入って行く様になって、ようやく「津波」に見えてきたと思ったら,もう逃げ遅れてる量の津波だったのだと、あとにして思う。

ここからは映画のような風景が続く。
普通の町の中に、海水がぐんぐん入り込んでいく。
道が水に満たされ「ああ、これでは床上浸水しちゃうなあ」という心配をしてテレビを見てた。

水量は止まらなかった。1階部分は水に満ちる風景の向こうから、コンテナたちがぷかぷか浮いてきた。「ひどいことになってる」とは思ったものの、その次には車たちがミニカーのように流れてくる。そのころには2~3階建ての家は水没してる。いくらなんでもこんだけ以上にはならないだろうとテレビを見てる。

家が流されてきてる。
船が流されてきてる。
フェリー級の船が町に入ってきてる。
もう人の風景は見えない。
津波の水を主役に見てないと,遠近感の狂う風景になってる。
町で生き残るには高架の「自動車専用道」にでも登る勇気のある人でもないと無理な風景に
なってる。

テレビは津波に押されるように木っ端と化した家々を滔々と流す風景をカメラアングルを変えては映す。あちこちの地方で、同時多発的に町を失いつつある風景になった。もう人なんて見えない。この震災全体を映しとるには、日頃の目の使い方では小さすぎてしまう。全体を見えると、もう人の悲しみが、分からなくなる。

1時間見たあと、仕事に行く。

帰宅したあと、惨状はエスカレートしてた。
それでもそのときには、まだ原発はニュースになってなかったし、震度・マグニチュードは6とか8とか変わってた。


津波が人をごっそり殺すんだと思った。
いいことをして生きてきた人も、悪い事をして生きてた来た人も分け隔てなく、流してしまうのが津波なんだと思い知った。人だけじゃなく、建物も、町も、全部流す。押し流す。

もうなんにもわかんなくなった。
わかんないんだ、と思った。
理解するもんじゃないんだと思った。

分かるわけない。
全然意味なく水が人も町も流しちゃうんだ。
それそこまでどんなにたくさんの人やものが、その町を作ってきたかを組み立ててきたのか、歴史ごとぶん殴るように、津波は挑んでくる。圧倒的にやってきた。


テレビを見てて感じた、最初のとろーりとした水位の上昇こそが、一番怖かった。
音もなく近づいてくる。すうっと上がってくる。


ひどい。
ひどい。
ひどい。



震災1週間経ってもこんな文しか書けない。
まだがれきの中で生きてる人もいる。
体育館で寒い中避難生活してる人もいる。
老人ホームで所定の処置がとれなくて,亡くなられてる年配者もいらっしゃる。

生きる事は、こんなに難しかったのだ。
生き続けることは、本当に向き合えば、その難しさは「一生懸命」でも足りないものだったんだ。
「それでも生きられない」ことを目の当たりにする人たちが、どんなに多い事か。
生き残ってる人の数の方が、亡くなった方の数より少ないご家族ばかりだろう。
家族親族ごと亡くなられてることも多いだろう。

こんなのを、わかる、だなんてならない。
わかんない。こんなのはどこまでもわかんない。
わかんないほうがましだ。



生きてる人たちを守る方法すら迷うスケールの事象。
それでも日本人の優しさは分かった。
優しいこと、であることが難しいさなかで、優しく思いやることをする人たち。
力がある人というのは、こういう人たち。本当に強いという人たち。